<讃美歌>讃美歌337番「やすかれ わが心よ」

<聖書日課>マタイ9章27~34節「神を見る目」

この箇所では、二人の盲人が目を開けてもらった記事と、ひとりの悪霊につかれて話すことができない男が、悪霊を追い出していただき話すことができるようになったことが記されています。

人々は、これらの出来事を目の当たりにして「こんなことは、イスラエルでいまだかつて見たことがない」と言って驚きました。

イザヤ書には「そのとき、目の見えない者の目は開き、耳の聞こえない者の耳はあく。そのとき、足のなえた者は鹿のようにとびはね、口のきけない者の舌は喜び歌う」(イザヤ35章5, 6節)とあり、

目の見えない者の目を開け、口のきけない者が話すようにされることは神のわざであると言われています。  すなわち、これらの出来事は、イエス様が聖書に到来が預言されているメシヤであることを示しているのです。

二人の盲人は「私たちをあわれんでください」と言って、目が見えるようにして欲しいとお願いしました。その願いに対して、イエス様は二人に「わたしにそんなことができると信じるのか」と問われています。

その問いは、「わたしを聖書に預言されているメシヤと信じるか」との問いです。

二人は、肉の目は見えませんでしたが、心の目は開いていました。それで二人は、「そうです。主よ」と言って自分たちの信仰を告白したのです。彼らは、心の目が明いている証として肉目が開かれました。

それと対照的なのがパリサイ人たちです。彼らは、イエス様が悪霊を追い出されると「彼は悪霊どものかしらを使って、

悪霊どもを追い出しているのだ」と言って、イエス様をののしりました。彼らの心の目は閉ざされており、肉の目は見るべきものを見ていませんでした。

私たちの心の目は、しっかりとイエス・キリストを見ているでしょうか。

イエス・キリストを見るとは、自分がどんな状況にあっても、イエス様は私の救い主であることに信頼することです。 主は、ご自分を信頼する者に恵みをもって働いて下さるのです。

今、八鹿教会は礼拝出席者も多く与えられ、求道者の方も何人か来てくださいます。そこに私たちは、神を見る目を働かせて、主が恵みを与えて下さっていることを見ます。

主は常に、ご自身に信頼する者を恵もうとされます。これからも、八鹿教会は、信頼をもって神を見る目を働かせて、神に信頼して福音宣教に仕えたいと願っています。

アーメン

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