
<讃美歌>讃美歌453番「栄えあれ 死に勝ちて」
<聖書日課>マタイ22章23~33節「確かな復活の希望」
パリサイ人に続いて(15~22節)サドカイ人がイエス様に論争を挑んできました。サドカイ人はモーセ五書(創世記~申命記)以外の権威を認めないグループです。また、彼らは死後の復活も認めませんでした。
その彼らが、当然復活を信じているであろうイエス様に復活について論争を挑んだのです。
彼らの主張は、「7人の兄弟がいて、長男がある女性と結婚して子どもがいないまま死んだ、次男から末の弟まで、モーセの教えに従ってこの女を次々と妻として迎えたが、そのすべてが子をもうけないままで死んでしまった。
そうすればその女性は、復活の時は誰の妻なのか? これは不条理なので人の復活はない」と言うものです。 サドカイ人の主張に、イエス様は二つの面で反論されました。
29節でこのように言われています。「そんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからです」。
人は復活の時には、神の力により天の御使いのようになり、結婚、出産、死亡というようなことは無くなります。 永遠はこの世の延長線上にはありません。
また、彼らが聖書を知らないことについては、神が「わたしは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」と言われていることを挙げられました。
神は生きている者の神です。死んだ者の神ではありません。これは大前提です。
つまり神が「わたしは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」と言われることは、アブラハム、イサク、ヤコブは、今も生きているのです。
肉としては、死んでしまった族長たちを、神が「彼らは今も生きている」と言われることは、族長たちが、永遠のいのちを与えられていることの証拠です。 それは、彼らの復活に通じます。
サドカイ人の誤りは、神を信じて過去に肉体的に死んだ者は、今も生きていることを知らなかったことと、人は復活した時は、生きている時と同じ肉体を持ち続けると考えていたことにありました。
イエス様は、人の復活は新しい想像であり、新しく生まれることであると言われます。(ヨハネ3章3節) そして、そこには死は存在しません。永遠に神とともに生かされることが復活です。
それは私たちの希望であり、その希望は失望に終わることはありません。(ローマ5章5節)
今私たちは、地上で<肉の生>に生かされていますが、この地上においても、復活の希望に生かされ、神の力を喜んで過ごさせていただきましょう。
アーメン
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