<讃美歌>讃美歌374番「たよりまつる わが主よ」

 <聖書日課>ヨハネ21章1~14節「破れない網」

イエス様は復活されたとき、墓に来た女性たちに「わたしの兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会えるのです」(マタイ28章10節)と言われました。

それで弟子たちはガリラヤに戻ってきました。ガリラヤに来ても、すぐにイエス様に会えたわけではないようです。それで弟子たちは、ガリラヤ湖に「漁に行く」と言って漁に出ました。

12弟子の中では、ペテロ/アンデレ/ヤコブ/ヨハネは、もともとは漁師です。

ガリラヤ湖のことは知り尽くしています。春の時期は、湖のどこでどんな魚が取れるか、よく知っています。 それで、夜、漁に出ました。 しかしその漁では何も漁れませんでした。

その時、岸辺におられたイエス様が「船の右側に網をおろしなさい」と言われ、そのとおりにしたところ網は、153匹の大きな魚でいっぱいになったのです。

11節には「それほど多かったけれども、網は破れなかった」と書かれています。2,000年前です。今のように丈夫な網ではありません。

通常であれば、それほどの魚が入れば、網は耐えられず破れてしまったのでしょう。

私たちは、ここに、イエス様がともに働いて下さる時、教会の宣教の働きが主に守られることを教えられます。

かつてイエス様は、ペテロとアンデレを呼ばれたとき「あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」(マタイ4章19節)と言われました。もちろんそれは、弟子たちが自分たちの力だけでできることではありません。

もし、私たちが自分たちの力だけで宣教を進めようとしたときは、教会の中にほころびが生じます。教会員の間に意見の違いがあり、協力して宣教活動ができなくなります。

しかし、聖霊がともに働かれるとき、教会の福音宣教の網は破れることはありません。

八鹿教会も、少しずつではありますが礼拝出席者が増えています。それは感謝しなければなりません。

私たちは、もっと多くの人を教会に招きたいと願っています。その時に、人間をとる網が破れないように、常に網を繕う必要があります。

網を繕う。それは、一人ひとりがイエス様との結びつきを強くすることです。

八鹿教会の一人ひとりが、常にみことばによって励まされ、更に恵みに満ちた信仰生活を過ごされますように願っています。 その時、八鹿教会の福音宣教の網は、決して破れることはありません。

アーメン

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