<讃美歌>讃美歌245番「神のみことばは」
<聖書日課>マルコ4章21~25節「持っている者は、さらに与えられる」
あかりは部屋全体を照らすために、よく見えるところに置きます。
見えないところにおいてもあかりは役目を果たすことはできません。
ここでは、あかりは「神の国の奥義」を指しています。
神の国の奥義は、本来はすべての人に明らかにされるべきものです。
しかし何と多くの人が奥義のあかりを枡の下や寝台の下に置いているでしょうか。
多くの人は、聖書のみことばを聞こうとはせず、教会に来ることを拒んでいる。
また、せっかく教会に来ても真剣にみことばを聞こうとはせず、反発する者もいる。
それはまさしく、あかりを見えないところに置くようなものです。
そのような者にイエス様は、「聞く耳のある者は聞きなさい」と忠告される。
本来、耳は聞くためにあります。神様のことばを聞くためにあるのです。
神様のみことばを聞こうとしない者は、神様もその者をそのような者として扱われます。
逆に聞く耳を持っている者は、聞くみことばによって恵みが与えられ、ますますみことばを聞くようになり、そのことによって、神様はその者にさらに恵みを与えられます。
それは、霊的理解力を持っている人には、さらに豊かに神の国の奥義に対する理解力が与えられ、
ますます喜びに満ちた信仰生活に導かれることです。
私たちはここから教えられる必要があります。
「私たちは、神のみことばに聞いて日々の信仰生活を過ごしているだろうか」。
喜びに満ちた信仰生活の原点は神のみことばです。それは、一人ひとりの信仰の原点です。
キリスト者は、みことばの民だからです。
神様は、あなたにさらに大きな恵みを与えようとされています。それは、あなたがみことばに従っておられるからです。
さらに豊かにされようではありませんか。神様は恵みを惜しまれる方ではありません。
神様は、みことばの恵みを持っている者には、さらに恵みを与えてくださる方だからです。
あなたの信仰生活が、これからも恵みに満ちたものとなりますように願っています。
アーメン
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