<讃美歌>讃美歌371番「いつくしみ深い」

<聖書日課>ルカ6章43~45節「信仰の自己点検」

この個所では、私たちクリスチャンが自身の信仰を点検することが勧められています。

人は、その者の行いによって何らかの実を結びます。そしてその実の良し悪しによって、その者が良い人か悪い人かが評価されるのです。

もちろんその評価の基準は「神様の基準」です。

そのためここで言われている<良い実>とは、神様の栄光を現わすような行いであり、

<悪い実>とは、それ以外の行いであり、自分自身の栄光を求める行いです。

人の生まれながらの状態は”悪い木”です。心に罪をもって生まれてくるからです。

しかし、私たちはこれまでの人生のどこかでイエス・キリストを自分の救い主と信じて罪の滅びから救われました。その時点で、私たちは”良い木”とされました。

しかしながら私たちは、イエス様を信じたクリスチャンであっても、時々”悪い実”を結ぶことも知っています。

「神の国とその義とをまず第一に求めなさい」(マタイ6章33節)とありますが、

他の人をけなすような悪いことばを口に出すこともあります。

神様そっちのけで、自分のことしか考えられなくなることもないでしょうか。

そのため私たちは、常に自分の信仰をチェックする必要があるのではないでしょうか。

いや、チェックすると言うよりは、「常にみことばにより励ましを受け続ける必要」があります。

人は、自分の心の中の罪を自分で処理することができないからです。

今日のみことばを読んで、「あゝ、私はまだ神様に変えていただかなくてはならない」と教えられるのは良いことです。

ある意味、信仰生活は悔い改めの連続です。罪を自覚する毎に主に立ち戻るのです。

その繰り返しによって、悪い実を結ぶ悪い木が、徐々に良い実を結ぶ良い木へと変えられるのです。

そして、そのことが「クリスチャンの信仰の自己点検」なのです。

これからの皆様方の信仰生活が、信仰の自己点検によって、神様に喜ばれるものへと変えられ続けますように願っています。

アーメン

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