<讃美歌>讃美歌370番「しずけき祈りの」
<聖書日課>マルコ9章14~29節「信仰による祈り」
人の信仰は、その者の祈りに表れる。
弟子たちは、以前、イエス様から権威を与えられ悪霊を追い出したことがあった。(6章7~13節)
それで弟子たちは、今回も悪霊を追い出すことができると安易に考えていたのかもしれません。
ここで強調されているのは、<信仰による祈り>です。
祈ることは全能の神の力を信頼し、神の力にまったく依存することを意味します。
それに反して弟子たちは、自分たちの力で悪霊を追い出そうと努力したのです。
それは、弟子たちが神の力を無視したことです。
パウロは「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです」(ピリピ4章13節)と言っています。
同じように、人は「イエス・キリストに頼らなければ何もできない」ことを知らなければなりません。
弟子たちの自分たちの力を過信した思い、父親の「もし、おできになるものなら、‥」とのことばには、
イエス・キリストへの絶対的な信仰が見られません。
それでイエス様は「あゝ、不信仰な世だ」と嘆かれました。
この世は自分の努力を強調します。確かにこの世のことにおいては、人は努力することは大切です。
しかし、神様の栄光を現わすことにおいて、努力は力を持ちません。
私たちは、まだ信仰を持っていない人に福音を伝えようとします。教会にお誘いしようとします。
そのことは、神様の栄光を現わすことです。
そのためには、私たちの主に対する絶対的な信仰による祈りが必要です。
イエス様は、父親に言われています。『信じる者には、どんなことでもできるのです』。(23節)
また『神にとって不可能なことは一つもありません』(ルカ1章37節)とも言われています。
真に力を持っておられるのは、神ご自身です。
私たちクリスチャンは、尚も、全知全能なる神様に頼ることを教えられ、<信仰による祈り>によって
神様から恵みをいただこうではありませんか。
神の力は、神を信頼する者を通して働くのです。
アーメン
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