
<讃美歌>讃美歌333番「山辺に向かいて われ」
<聖書日課>マタイ10章16~25節「オオカミの中の羊」
イエス様は弟子たちを福音宣教に遣わされましたが、そのことは「オオカミの中に羊を送り出すようなものです」と言われました。 その状況は、今の時代もまったく変わっていません。
オオカミの中に放り出された羊は、あっという間に食べられてしまいます。私たちも、自分の力だけで宣教の働きを続けようとすると、私たちの魂はあっという間に世の誘惑に飲み込まれてしまいます。
そこでイエス様は弟子たちに「蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい」と言われます。
- 「蛇のようにさとく」とは、どのようなことでしょうか?
蛇はサタンの化身としてここに紹介されています。ずる賢い生き物です。
イエス様は、神様から知恵をいただいて、神様の栄光を現すために臨機応変に対応することを求められています。弟子たちは議会に引き渡され、むち打たれます。
それは弟子たちをイエス様か引き離そうとする力です。誘惑の力です。同じ力は、今も働いています。私たちの周りにも、私たちをイエス様から引き離そうとする力は幾つもあります。
私たちが住んでいる地域は因習の強い土地柄です。人々の生活の中に社寺仏閣が入り込んでいます。そのような中で、神様/イエス・キリストを証しすることが求められているのです。
まず、世の中の誘惑に惑わされない賢さが求められるのです。
- 「鳩のようにすなお」とは、どのようなことでしょうか?
鳩は平和の象徴です。あらそいを止め、どんな相手にも悪口雑言を言わないことが求められていま
す。それはじっと我慢することではなく、主に期待して助け(知恵)を待ち望むことです。弟子たちは、議会に引き渡されても「何を話そうかと心配しないように」言われました。
「話すことは、その時に神様から示されるから」です。
福音を語ろうとして、私たちも友人から拒否されたとき、家族のものから無視されたとき、何を語ればよいか、ちょっと立ち止まって神様から知恵をいただくために祈ることも必要です。
鳩のようにすなおになるとは、悪に染まるのではなく、神様に祈り、神様から知恵をいただくことです。
私を神学校に送り出してくださった教会の牧師先生は、「福音宣教には、”負けるが勝ち” ということもあります」と言われました。それも神様の知恵だと思わされました。
これからも八鹿教会が、世と対決するのではなく、その都度、神様から知恵をいただいて、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおにされて福音宣教に仕えたいと願っています。
それがオオカミの中の羊が生きる道なのです。
アーメン
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