<讃美歌>讃美歌290番「ガリラヤの風 かおるあたり」
<聖書日課>マルコ6章45~52節「わたしだ。恐れることはない」
45節『それからすぐに、イエスは弟子たちを強いて舟に乗りこませ、‥』。
「それからすぐに」とは、5000人の給食の奇跡のすぐ後です。周りはもう暗くなっています。
そのような状況でイエス様は、弟子たちを強いて舟に乗りこませました。
ここに”強いて”と書かれているところに、イエス様の意志を感じます。
イエス様は確かな目的をもって、夜中に弟子たちを船に乗り込ませました。
イエス様の目的は何だったのでしょうか。52節にヒントがあります。
『彼らはまだパンのことから悟るところがなく、その心は堅く閉じていたからである』。
「心が堅く閉じている」とは、「心が鈍くなっている」ことです。
弟子たちは、5000人の給食の奇跡を見せられても、イエスは誰か?を悟らなかったのです。
それを教えるために、イエス様は敢えて夜中に弟子たちを舟に乗りこませ、嵐に合わせられたのです。
私たちは、イエス様は私にとって誰なのか?はっきりと悟っているでしょうか。
私たちの信仰生活の中にも”人生の嵐”はやって来ます。
その時、私たちはどのように振る舞うでしょうか。ただ、その嵐が過ぎ去るのを待つだけでしょうか。
また、恐ろしくて叫び声をあげるでしょうか。
弟子たちは、近づいてくるイエス様を幽霊だと思って怖くなり、叫び声をあげましたが、イエス様はご自分のほうから語りかけてくださいました。
『しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない』と。
イエス様は、あなたにも語りかけておられます。『わたしだ。恐れることはない』。
イエス様が舟に乗り込んだとき、嵐がやんだように、あなたがどんな人生の嵐に直面していようと、
あなたがイエス様を自分の心にお迎えした時、あなたの心の嵐もおさまるのです。
イエス様を自分の心に向かえるとは、イエス様を罪からの救い主としてはっきりと知ることです。
その時、あなたの心は平安で満たされます。たとい周りの状況は変わらなくても、あなたが変えられるのです。
私たちの人生の船旅は、絶えず嵐に見舞われるかもしれませんが、『わたしだ。恐れることはない』と
励ましてくださるイエス様が、私の側にいつもいてくださることを思い、平安の内に過ごさせていただきましょう。
アーメン
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