<讃美歌>讃美歌412番「父の神、このわれを」

 

<聖書日課>マルコ14章26~31節「つまずきは強くなるため」

人がいろいろな試練を経験して強くなるように、信仰者も様々な試練(つまずき)によって信仰が強くされます。

イエス様は、弟子たちと過ぎ越しの食事をされた後、オリーブ山へ行かれた時に「あなたがたはみな、つまずきます」と言われました。

弟子たちは、それまでいろいろな試練を経験して信仰者として成長していました。しかしまだ一つ、最大の試練が残されていました。 イエス様の十字架です。

人は、「自分は(精神的に)強い者だ」と思っていても、さらに大きな試練が与えられると弱さをさらけ出してしまいます。

ペテロは、「他の弟子たちがつまずいても、自分は決してつまずきません」と宣言しますが、そのペテロがいとも簡単につまずいたことは、皆様方はよくご存じです。
すべての人は、自分が思っているほど強くはありません。すべての人は、自分が弱い存在でああることを知らなければまなりません。

ペテロは、まだ、自分の本当の姿は弱い者であることを知らない高慢な者でした。

ペテロは、自分が弱い者であることを教えられて変えられ、主の御用に足るものとされたのです。

私たちも変えられなければなりません。

神様は、自分は強い者だと思っている者を用いられません。

私たちが信仰生活を続ける中で、これからいくつもの試練が与えられるでしょう。

それは、あなたが信仰者として成長するために必要なものなのかもしれません。

試練は、苦しいもの(懲らしめ)と思われるようなものもあるでしょう。

しかし、信仰に係わる懲らしめは、あなたをクリスチャンとして成長させるのです。

主はあなたを用いようとされています。

『すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、

後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます』。(へブル12章11節)

主のすべての弟子たちがつまずいたように、私たちにも懲らしめの試練は訪れるでしょう。

それは、あなたを信仰者としてより強くさせるためのものです。

八鹿教会の一人ひとりは、互いが試練に耐えられるように、またそれによって信仰者として

より主の栄光を表すものと変えられるように祈りましょう。

アーメン

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