<讃美歌>讃美歌271番「主は教会の基となり」

<聖書日課>ヨハネ7章1~9節「あなたの時はいつですか」

ユダヤ人の間では、祭りの時には男子はエルサレムに行って、神殿で神様を礼拝する風習がありました。

それで、仮庵の祭りの時(9月~10月)にイエス様の兄弟たちは、長男であるイエス様に「ここを去ってユダヤに行きなさい」と言っています。

イエス様の兄弟とは、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダです。(マタイ13章55節)

しかしながら、兄弟たちの念頭にあったのは、イエス様の奇蹟を行う力であり、イエス様の栄光が十字架で現わされることは、まったく理解していなかった。

結局のところ、兄弟たちのことばも不信仰に基づくものだったのです。

それでイエス様は、「わたしの時はまだ来ていません」と答えられました。

もちろん”わたしの時”とは、イエス様がこの世に来られた目的を成し遂げられる時であり、十字架の時です。

その十字架の時は、神様が人々の罪を見過ごされる過ぎ越しの祭りの時でなければならなかったのです。

また、イエス様は兄弟たちに、「あなたがたの時はいつでも来ているのです」と言われます。彼らは、神様のご計画とは無関係に行動します。

その意味において、彼らの時はいつでも来ており、そのことによって、悪の世に加担していたのです。

しかし、そのような兄弟たちの中でも、ヤコブは後にエルサレム教会を代表する指導者になります。

また新約聖書の”ヤコブの手紙”を書くことになります。ユダも”ユダの手紙”の著者です。

イエス様が十字架で罪の贖いの死を遂げられ、復活された後、兄弟たちの時が訪れました。

それでは、あなたの時はいつでしょうか?

確かにあなたは、自分の罪を悔い改めて洗礼を受け、今クリスチャンとして過ごされています。

礼拝も毎週守っておられます。

その意味において、あなたは神様のご計画とは無関係に行動されているわけではありません。

では、あなたは周りの方々に神様の栄光/イエス・キリストの栄光を現わしておられるでしょうか。

主は、私たちに<神の栄光>を現わすことを期待しておられます。

私たちが、心のエルサレムにのぼる時、すなわち常にイエス・キリストの十字架を見上げ復活の希望に生かされる時、

私たちは喜んでイエス・キリストを証しする者と変えられます。

そして、その時が私たち信仰者にとっての<時>ではないでしょうか。

これからも皆様方が、主の前の<時の人>として恵みを受けられますように願っています。

アーメン

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