マタイの福音書13章1~9節、18~23節

私たちがここでこのように生きていることの恵みとはどういうものでしょうか。恵みとは神様から頂く愛の全てです。神様そのものが愛であり、そこから注がれるものです。イザヤが預言を受けた神様からの御言葉には、警告やさばきだけでなく、豊かな恵みの預言がありました。「わたしが望むことを成し遂げ、わたしが言い送ったことを成功させる」と言われるのは、民の良い行いからではなく、一方的な神様の愛からです。このような愛は、罪の中にある小さな狭い人間の心には理解できません。神様による人間の創造、そして、その人生を導き豊かにして下さること、すべてにおいて、愛なる神様からの無償の豊かな恵みが私たちに注がれています。私たちにとって一番大きな恵みは一体何でしょうか。これこそ、私たちの罪からの救い、福音ということです。今日のロマ書で、パウロは、すべての人間の本質、根本にある悪が起こす罪は自分の力で防ぐことができないと言います。しかし、彼は、イエス様が私たちの身代わりになることで私たちは赦されて、その罪から解放されることになったと言うのです。これが福音です。今日の新約聖書、マタイの福音書13章の例えでは、イエス様が、私たちの信仰の状態や福音宣教を厳しく批判されていると思ってしまいますね。でもそうではなく、当時の人々が神様の御国を打ち立てようとする活動には数多くの失敗があるとしても、イエス様は、必ず何十倍、何百倍に大きく育つような収穫が神様の御国の樹立に約束されていると言われているのです。初めにその種を蒔かれたのはイエス様御自身です。「あなたはダメだ」と判決を下されているのではありません。どこまでも深い愛をもって人間に限りない豊かな恵みを与えて下さる神様に不可能はないのです。初めは福音の御言葉を信じなくても、否定するようなことがあっても、たとえ欲望や誘惑に負けるようなことがあっても、この道端や岩地や茨の中に落ちた種のような私たちも、今、礼拝に導かれ、神様からのメッセージを聞けるようになっているのではありませんか。ここで言われていることは、絶望ではなく希望です。御言葉を聞きわかっていくことで、人は良い地にまかれたものとなるのです。悟る者は、悟らない者より何十倍も実を結ぶと言われているのです。御言葉を通してイエス様の導きにゆだねることで、信仰の成長を目指しましょう。日々の生活の中で、また人間関係の中で、自然に福音を伝えていくことが大切です。神様の導きに信頼して私たち一人ひとりが御言葉を携えて生きることが重要です。私たちはただ神様の豊かな恵みを受け取るだけです。自分が罪深いからと拒む必要もなく、自分を否定することもありません。頂いた愛と恵みを自分なりに他の人々に手渡していきましょう。そうできるようにと、神様はここに私たちを招いてくださったのです。

(福田 学師)