マタイの福音書10章40~42節
6月最後の日曜日を迎えました。この半年間、世界情勢や日々の生活の中で困難なこともあったと思いますが、今あらためて今年のあいことば「わたしへの恵みを数えよう」~わがたましいよ、主をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」(詩篇103:2)という御言葉を心に刻み、この半年、主が良くしてくださったことに感謝をささげましょう。何よりも、イエス様の十字架によってすべての罪がゆるされていることをあらためて感謝しましょう。
ローマ6:23に「罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」とあります。私たちは洗礼によってイエス様のいのちとつながり、その体の一部、つまり「メンバー」(元々「体の一部」という意味)となりました。私たちは、この世においてイエス様の「全権大使」という名誉ある、かつ責任ある立場に置かれています。私たちを見て、人はイエス様を受け入れたり、拒んだりするのです。イエス様のいのちとつながった今でも、私たちは罪を持っています。だから自分の手足や口を、人を傷つける「不義の道具」として使ってしまう危険性があります。だからこそ成長が必要です。私たちの成長に欠かせないのは「悔い改め」です。真の平安は、耳に心地よい「平安、平安」という言葉の中にはありません。耳に痛い断罪の言葉を聞いて自らの罪を認め、悔い改めてイエス様の十字架にすがる時にこそ、本当の平安が与えられるのです。罪の痛みを知る者こそ、イエス様の「メンバー」にふさわしい人です。
W杯サッカーのブラジル代表エデルソン選手は、試合中に顔を蹴られて大怪我を負わされても相手をゆるしました。彼の胸には「I Belong To Jesus (私はイエスに属する)」という入れ墨が彫られています。私たちも、イエス様の体の「メンバー」として、いつも自分の罪の痛みを知る者でありましょう。そして、自らの手や足や体全体を、隣人を助け生かすための「義の武器」として神様に献げましょう。それによって人々が私たちの中にイエス様を見て、神様を受け入れるようになるために。
(永田 令牧師)