マタイの福音書9章35~10章8節

イエス様は、町や村を巡り、病いを癒やしながら福音を宣べ伝えられました。その中で群衆をご覧になり、「飼い主のいない羊」のように弱り果てて倒れている姿をかわいそうに思い、心を痛められました。ここで「かわいそうに思う」と訳された言葉は、内臓が揺り動かされるような激しい同情を意味します。人々は人生の指針を失い、世の誘惑や思い煩いに足を取られています。そんな人々を導く真の羊飼いが必要です。それこそがイエス様です。しかし人々はそのことを理解していませんでした。
人々の姿を見てイエス様は、「収穫は多いが、働き手が少ない」とおっしゃり、十二弟子を呼び寄せて彼らに権威を授け、「使徒」として遣わされました。「使徒」とは天の御国の大使であり、イエス様の代理人です。イエス様は使徒たちを、気心の知れた二人一組で遣わされました。
最初、使徒たちの伝道は「イスラエルの失われた羊」に限られていました。彼らは「悔い改めなさい。天の御国が近づいた」と宣べ伝えました。天の御国に入るためには悔い改めが必要なのです。そしてイエス様からいただいた権威をもって、使徒たちは人々の病いを癒し、悪霊を追い出しました。
この12使徒の派遣は、後にイエス様の十字架と復活によって全世界へと広がる本格的な福音宣教のための大切な備えでもあります。イエス様が「収穫は多いが、働き手が少ない。」とおっしゃったその畑とは、イスラエルだけでなく、日本を含む全世界の人々も入っていたのです。その全世界の畑の収穫のために「働き手を送ってくださるように祈りなさい」と命じられたその祈りは、今、かなえられつつあります。ここにいる私たちこそがその収穫の実であり、証拠です。そして今後もますます続けられなければいけません。だから収穫の主に祈りましょう。隔ての壁を打ち砕き、私たちを違反者の側ではなく、つまり滅亡する側ではなく、天の御国に導く側に入れてくださったイエス様に、これからも祈って参りましょう。(井上靖紹長老)