マタイの福音書28章16~20節

今日は「三位一体主日」です。父なる神様、御子イエス様、聖霊様という 三つでひとりの神様であるという、人間の理解を超えた神様の神秘を心に刻む日です。
聖書はその冒頭、創世記1章1節で「はじめに神(複数形)が天と地を創造された(単数形)」と記し、初めから神様が三位一体であられたことを示唆しています。御子イエス様は天地創造の時、既に神様と共におられ、天地を創造されました。聖霊様も「神の嵐」のように水の面を動き、天地創造に参与しておられました。マタイの福音書の最後で弟子たちは、復活されたイエス様を「礼拝した」と書かれています(17)。厳格な一神教徒であるユダヤ人だった弟子たちがイエス様を礼拝したということは、イエス様こそ神ご自身であることの決定的な証拠です。
イエス様は弟子たちに「父、子、聖霊の名によってバプテスマ(洗礼)を授けなさい」と言われました。「名」はやはり単数形です。神の名は三つではなく一つなのです。そして「名によって」の「よって」は、原語では「~の中に」という意味があります。洗礼によって人は三位一体の神様の「中に」入れられ、神様もその人の「中に」入ってくださる。こうしてその人と神様はひとつになるのです。そしてその人は、この世を照らす光となります。
天地創造の一番はじめに、神様は「光、あれ」と仰せられました。この光は太陽の光ではありません。闇の世界に神様が最も求めておられる「愛と希望と信仰」の光です。人間は造り主なる神様から離れて闇に陥ってしまいましたが、人間の罪の身代わりに死んでよみがえられたイエス様を信じることによって聖霊様をいただき、その人の中にあらためて「光、あれ」が実現するのです。その人の意志の強さとか行いの良さなどは関係ありません。イエス様を疑った弟子たちをさえ、イエス様はご自分の証人として派遣されました。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」この約束があるので、私たちも弱い者であっても世の光として用いていただけるのです。
日曜日は、神様が光が造られ、イエス様が復活し、聖霊様が降臨した日です。まさに三位一体の神様を礼拝するのにふさわしい日です。礼拝で御言葉と聖餐にあずかり、最後に「イエスの恵み、神の愛、聖霊の交わり」による祝祷を受けて、私たちはそれぞれの持ち場へと送り出されて行きます。神様が最初から与えたかった「光」をすべての人々に届けるために。

(永田 令牧師)