ルカの福音書24章44~53節
イエス様の昇天を記念する「昇天主日」を迎えました。イエス様の「昇天」は、クリスチャンが亡くなって天に召される「召天」とは異なり、文字通りイエス様が天に昇られたことを指します。天に昇られて雲に包まれ、イエス様の姿は弟子たちの目には見えなくなりました。その時から、イエス様が直接語ったり活動したりなさる時代は終わり、教会の一人一人を通してイエス様が働かれる時代が始まったのです。それを可能にしたのが聖霊様の降臨です。イエス様が昇天されて10日後、「イエス様とは別の助け主」である聖霊様が天からくだり、弟子たちに注がれました。この聖霊様の力によって、教会はイエス様のわざを行い、イエス様の教えを語ることが出来るようになったのです。
ルカは、第一巻にあたる「ルカの福音書」の中で、イエス様の誕生から昇天までの間に、イエス様ご自身が行ったみわざを書きました。そして第二巻にあたる「使徒の働き」で、使徒たちが聖霊様の力によって「エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果てまで」(使徒1:8)イエス様の福音を宣べ伝えて行く様子を記録しました。その働きは今も続いています。「使徒の働き」は28章で終わりますが、姫路教会や赤穂教会や世界中のすべての教会のメンバーが、今も「イエス様の証人」として、「使徒の働き29章」を書き続けているのです。
では、イエス様の証人にとって一番大事なことは何でしょうか?それは「礼拝」です。礼拝で聖書を読み、説教を聞くことで心の目が開かれ、聖徒たちに与えられている望みが、いかに素晴らしいものであるかを再認識します。また礼拝で唱える「使徒信条」で聖書全体を総括し、三位一体の神様への信仰を宣言します。さらに礼拝で聖餐にあずかることで、イエス様の死と復活を世に告げ知らせています。そして賛美についてはマルチン・ルターが「賛美歌は会衆の説教である」と語ったように、罪から救われた喜びを会衆が高らかに歌う姿そのものが、説教と同じくらいイエス様のみわざを証ししています。礼拝の最後に行われる祝祷は、天に昇る直前に手を上げて弟子たちを祝福されたイエス様の姿を再現するものです。その姿のままイエス様は天に昇られました。つまりイエス様の祝福は今も続いているということです。このイエス様の祝福を、礼拝の最後に受けて、聖徒たちはれぞれの日常へと派遣されていきます。
教会はキリストのからだであり、イエス様は教会のかしらです。かしらですから「見上げる」べきです。これからも教会が、良い時も悪い時も、主を見上げて、忠実に礼拝し続けるなら、これこそ世にキリストを証しする、最大で、最高の方法となります。
(永田 令牧師)