マタイ28章1~10節
イースターおめでとうございます。主イエス・キリストが死からよみがえられたこの日は、教会にとってクリスマス以上に大きな喜びの日です。復活は人間の常識をはるかに超えた出来事ですが、だからこそ、それが現実となったことは、とてつもなく大きな喜びなのです。
聖書が記す復活の最初の目撃者は、マグダラのマリアをはじめとする女性たちでした。当時の社会では、女性の証言は信用されない傾向にありましたが、それでも彼女たちが最初の証人であるとすべての福音書が書いているのは、それが創作ではなく紛れもない事実だったからです。「イエスの復活を熱望した弟子たちが、幻を見たのだ」という説も間違いです。復活を熱望していた弟子など一人もいませんでした。きょうの女性たちも復活を信じて墓に行ったわけではなく、ただ主の遺体に香油を塗ろうとしていただけです。イエス様はご自分が復活することを何度も予告しておられたのに。
しかしイエス様は彼らの不信仰を責めることなく、「恐れることはありません」と優しく語りかけられました。ここに、人間の弱さを丸ごと包み込むイエス様の赦しがあります。これはイエス様の十字架と復活によって実現した赦しです。私たちの弱さも罪も、全部イエス様が背負って代わりに罰を受けてくださったので、弟子たちも私たちも赦されたのでした。
彼女たちの前に立ったイエス様は「おはよう(カイレテ)」とおっしゃいました。この言葉はもともと「喜べ」という意味を持っています。同じ言葉がクリスマスのマリアの受胎告知の場面では「おめでとう」と訳されています。この「おめでとう」「喜べ」という言葉の理由は「あなたの罪は赦された」ということです。イエス様の死と復活のおかげで、私たちは死んでも天国で生き、生きている間も、どんな絶望的な状況からも「再び建て直される」という約束が与えられているのです(エレミヤ31:3-4)。
いま私たちはイエス様を肉眼で見ることは出来ません。しかしイエス様を救い主と信じ、洗礼や聖餐の恵みを通して罪の赦しを確かにいただいています。だから「おめでとう」なのです。
この「おめでとう」の喜びは、私たちだけで留めておくものではありません。御使いが喜びをもって復活を人々に告げたように、私たちも、自分の罪が赦されているという喜びをもって、この喜びを伝えていきましょう。事務的に教会に誘うのではなく、「わたしの罪は赦された」という喜びが大事です。それが福音を伝える力となります。伝えた相手と一緒に、救われた喜びを分かち合う日が来ることを待ち望みつつ、これからもイエス様の復活を伝えて参りましょう。(永田 令牧師)
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