マタイの福音書21章33~46節
私たちはしばしば「自分は絶対に正しい」と思い込み、他人の意見や忠告に耳を傾けなくなってしまう弱さを持っています。静岡の原発で起こったデータ書き換え事件のように、「自分たちは正しいことをしている」という考えに縛られる時、人は重大な過ちを犯してしまうのです。
イエス様はぶどう園の農夫のたとえ話を通して、「自分は正しい」と思い込む人間の恐ろしさを鮮明に示されました。主人(神様)は人間への愛をもって豊かなぶどう園(この世界)を造り、必要なものをすべて準備して、それを農夫たち(人間)に委ねました。しかし人間は「この世界は自分たちのものだ」と思い込み、神様への感謝も自分の分をわきまえることもしませんでした。この間違いを正すために神様はしもべ(預言者)を何人も遣わしますが、農夫たちは彼らを打ちたたいたり殺したりしました。ついに主人は愛する息子、すなわち神のひとり子であるイエス様を地上に送られますが、人間はイエス様をぶどう園の外に追い出して十字架につけて殺してしまったのです。
「神以外のものを神としてはならない」「殺してはならない」「姦淫してはならない」等、十戒をはじめとする神様の律法の真の目的は、「私は守れている」と思い込んで自分の正しさを誇るためではなく、「私は十戒を守れていない罪人だ」ということに気づかせることです。一見、十戒を守っているように思えても、心の中で人を殺していたり、助けるべき人を助けていなかったりするのは、人を殺しているのと同じことだからです。では自分の間違いに気づいた時はどうすれば良いのでしょうか?きょうの聖書に出てきた祭司長やパリサイ人たちは、「この農夫は自分たちのことを指している」と気づいた時、悔い改めるどころかイエス様を捕まえようとしました。それでは何の解決にもなりません。間違いに気づいたら心から悔い改めて、神様に助けを乞うべきです。そうすれば救われます。神の御子イエスキリストが私たちの代わりに十字架で罰を受けてくださったからです。かつて自分の正しさを誇ってクリスチャンを迫害していたパウロは、キリストの光に照らされて生まれ変わりました。自分の間違いを認め、イエス様こそ救い主であると告白し、生涯イエス様を人々に伝え続けました。その結果、世界中で多くの人々がイエス様によって罪から救われ、今も増え続けています。わたしたちも「自分は正しい」「自分は大丈夫」と言い張るのをやめ、悔い改めてイエス様にすがりましょう。正しいのはイエス様だけ、大丈夫なのはイエス様だけです。このイエス様の力によって私たちは守られ、豊かな実を結ばせていただけるのです。(永田 令牧師)