=あなたが福音宣教に喜んで仕えるために=

<使徒書>Ⅰコリント319

パウロはコリントの教会の人々を教え、早く成熟したクリスチャンになって欲しかった。しかし彼らはパウロの期待を裏切りました。

パウロは、生まれたばかりのコリント教会には厳しい要求はしませんでした。でも、教会の中に妬みや争いが起きてしまった。

教会の中から、神の愛がなくなりイエス・キリストに倣って互いに仕え合う愛がなくなったとき、教会は神の教会として立ち行かなくなります。

私たちにも「イエス・キリストは生活のど真ん中におられるか」とパウロは叫んでいます。私たちは、今日与えられたみことばにより、信仰生活を見直すことも求められています。

クリスチャンは、イエス・キリストの奴隷ですが、信仰者同志の間では仕える者です。私たちは、喜んで主に仕えているでしょうか。

福音宣教に仕える私たちの目的は、神の栄光を現わすことですが、その原動力も神に源があります。

そのことが分かれば、私たちは神によって力づけられ、神のために福音宣教の働きを喜んで続けることができるのです。

パウロはコリントの町に教会を根付かせました。その後、アポロが来てみことばの水を注いだのです。

クリスチャンも成長するためには、神の恵みが注がれ、その者が注がれた恵みを吸収しなければなりません。それは神のわざです。教会成長は、集っている信仰者の成熟です。

またパウロは、自分は神の道具にすぎないと言います。しかし、クリスチャンは、神の道具として用いられる以外に用いられ方はありません。

神の福音は、成長し続ける生命の力を秘めた種です。しかし神は、いろいろな労苦と戦いの中で、宣教がなされていく過程を通して人を救い、神の国の完成へと導くことをよしとされました。

そのことにより、神の道具として用いられる者も、その働きによって、ますます神の恵みをいただき、信仰者として成長させていただくのです。

私たちの働きは様々ですが<神の福音を宣べ伝える>との同じ目的を持つことにおいて一つです。

そのことは、教会が福音宣教を進めるためには、すべての者が一致すべきことを物語っています。そのため、私たちは<神の協力者>なのです。

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