2025年02月16日(日)

 =あなたが、主の幸いな弟子とされるために=

<福音書>ルカ61726

何故イエス様は人々を教え、病を癒し、悪霊を追い出されたのでしょうか。癒しはイエス様が、ご自分が誰であるかを、人々に示すための証の手段です

でも人々は、教えを聞いても、病が癒されても、悪霊を追い出してもらっても、イエス様の本当の姿を理解しなかった。人々は自分の目的を達成すればそれで満足していたのです。

だからイエス様の心は淋しかった。それでイエス様は弟子たちを見つめながら、話し始められました。

ここでイエス様は、明らかに何かを教えるために弟子たちを見つめておられます。

弟子たちに、イエス様の目は語りかけています。「あなたがたは、この出来事のうちに神の力を見ているか」と。奇跡は、イエス様が神から遣わされた方であることを証ししています。

イエス様は弟子たちに、病が癒されて一時的な喜びに浸っている人々とは“別の価値観”を持つことを要求されています。

そして、イエス様の目は私たちにも向けられ、私たちにも信仰者として正しい価値観を持つことを迫るのです。

イエス様はここで、私たちに語っておられます。「あなたを取り巻く状況がどのようなものであっても、あなたが苦しいところに追い込まれていても、また逆に、すべてが順調で順風満帆であっても、キリストを見続けなさい」と。

イエス様は弟子たちに『貧しい人たちは幸いです』とのことばで語り始められました。イエス様は「非常に貧乏な状態にある人は、この上もないほどの幸いな人だ」と言っておられるのです。

“貧乏”とは霊的な貧しさです。自分の罪深さに失望して、神により頼む者のことです。ですから「罪の解決を神により頼む者は幸いだ」と言われているのです。神はあなたの罪を確実に解決することができます。

“飢える”とは強烈に求めることです。神の恵みのみことばを求めるのです。心が神のことばを求めて霊的に飢えているのです。イエス様は、あなたにとって本当に必要なのはパンではなく霊的な食物である“神のみことば”だと言われている。

“泣く”とは、自分の罪を泣き悲しむのです。人は、地上にあっては依然として罪を犯します。それでイエス様は、自分の罪を心から悔いている者が、神の前に「正しく泣く者だ」と言われます。

イエス様は、あなたに問われます。「今あなたは飢えていますか。今あなたは泣いていますか」と。主はあなたにもっと多くの恵みを与えようとされています

主は、あなたに懇願しておられます。「あなたは、もっとみことばに飢えてください。あなたは、もっと自分の罪を悔いて泣いてください」と。

しかしあなたが、地上の富に満足して霊的に満ち足りることを求めないなら、「そのようなあなたは哀れです」と言われる。『富んでいるあなたがたは哀れです』。“富んでいる”とは、神のことばを求めようとせず高慢になっている心の状態です。

イエス様の嘆きの声が聞こえてくるようです。「あなたの前に、天の御国の大きな報いが差し出されているのに、心が高慢になっているためにその報いが見えず、神のことばを求めようとしない。差し出された恵みを掴もうとしない。あゝ、かわいそうだ、そのようなあなたは」。イエス様の叫びの声です。

あなたは信仰の目を見開いて、天においてあなたが受け取るべき恵みのすばらしを見てください。聖書のみことばの行間から聞こえてくる、イエス様の嘆きの声に耳を傾けていただきたい。

あなたは21世紀における<主の預言者>です。あなたの成すべき第一の仕事は、天においてあなたが受け取る報いを見続けることです。あなたの報いは、聖書のみことばの中に見つかります。

どうかみことばを読み、見つけた宝をしっかりと握りしめていただきたい。そのとき主は、あなたの心をイエス・キリストと一つにして、平安で満ち足らせてくださるのです。そして主は、そのような者を<幸いな弟子>として用いてくださいます。