2025年01月12日(日)

=あなたが世にイエス・キリストを現わすために=

<福音書>ルカ31517, 2122

人がイエス・キリストの栄光を現す。それは、どんな困難な状況に置かれていても、イエス・キリストの上に立ち続けることです。

そして信仰生活におけるもっとも重大な困難は、あなたが人生の絶頂にいると思っている時にやって来ます。すべてが順調であると思えるとき、あなたは神を忘れ易い

バプテスマのヨハネは、人々から「あなたが救い主ですね」と言われた時にも、まだ見ぬ救い主キリストの上に立ち続けたのです。

ヨハネは言います。「私は、水でバプテスマを授けている。私の後にご自分を現わされる方は、聖霊と火でバプテスマを授けられる」。

ヨハネは、聖霊と火のバプテスマを箕の中でふるい分けられる麦にたとえています。救い主キリストによる“聖霊と火によるバプテスマ”。それは、神による振るい分けのバプテスマです。

ヨハネは「私は、その方の履き物のひもをも解く値打ちもない」と言います。ヨハネは後から来られる救い主は、それ程すばらしい方であると主張するのです。

ヨハネはその事を神に示されて、まだ見ぬ救い主キリストを土台としてその上に立ち、救い主を世に現わし続けたのです。

さてイエス様はヨハネからバプテスマを受けられました。私たちは、ここで二つの疑問を持ちます。一つは、なぜイエス様はバプテスマを受けられたのかです。

二つの理由が思い浮かびます。模範を示すことと使命を公にすることです。それで私たちも、イエス様に倣ってバプテスマを受け信仰を公にするのです。

もう一つの疑問は、なぜイエス様に聖霊が降らねばならないのかです。そこにも、二つの理由があります。

一つは、イエス様と父なる神との間に密接な交わりです。祈りの最中に聖霊が降ったことは、イエス様の祈りと神の応答の深いつながりを示します。

イエス様は、祈りを通して神の意志に忠実に従う姿勢を示され、一方神は聖霊を送られ、イエス様を支える意志を明らかにされたのです。

もう一つは、人としてのイエス様にとって聖霊の励ましは必要だったからです。イエス様は、完全な神でありながら、すべての人のために完全な人間イエスになってくださったのです。

それでイエス様は、人としての試練や限界を経験され、それらを克服するためにも聖霊の助けが必要だったのです。

それは人として生きるすべての信仰者にとっても、この地上の社会で信仰を守り通すためには、聖霊の助けが必要であることをも示しています。

そのようにしてイエス様は、私たちが罪によって断たれた神との関係を修復するための模範となり、また十字架で血を流すことで、その手段ともなってくださったのです。

人は、信仰者として地上で生活するために、神を土台としてその上に立つことはできません。神と人とはまったく異質なものだからです。

ですから、私たちが信仰者として生きるために土台とすることができるのは、人としてのイエス・キリスト以外にはないのです。

そして私たちがイエス・キリストの上に立つとは、模範を示してくださったイエス様に従うことに他ならないのです。その上で、イエス様に従う力を与えてくださるのが聖霊なる神です。

結局のところ、神は私たちにすべてを備えてくださいました。私たちが信仰の土台として立つべきイエス・キリストと、その土台の上に立ち続けるための聖霊による励ましとを備えてくださったのです。

そして、そのようなイエス・キリストの上に立ち続ける私たちの姿が、世の人々にまことの救い主イエス・キリストを現わすのです。