=主に信頼する信仰生活を過ごすために=

<福音書>マルコの福音書104652

エリコ町で目の見えないバルテマイが物乞いをしていました。当時、盲目であるのは罪の結果だと思われ、物乞いをする以外に生きる方法はなかったのです。

でもバルテマイは希望を持っていました。彼は、イエスと呼ばれる男が病人を癒し、目の見えない者の目を開けたことも聞いた。そこに希望を持ったのです。

バルテマイは、自分の方に近づいてくる人の群れにイエス様がおられるのを聞き「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください」と叫んだのです。

私たちはここから、イエス・キリストに会うチャンスを逃さずにあきらめないことを学びます。バルテマイは毎日黙って静かに座っていた。

でもこの時は叫び続けました。この機会を逃すまいと必死で叫び続けたのです。しかし、人々は彼を怒鳴りつけました。イエス様は、罪びとを招くために来られたことを理解していなかったのです。

そしてついにバルテマイの声が勝ち、イエス様は、彼を連れてくるように言われました。

信仰者である私たちも「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください」と叫び続けなければなりません。主は、あなたの叫ぶような祈りの声を待っておられます。

“ダビデの子”とは、メシヤの称号です。イエス様はバルテマイの信仰を見て、彼を呼ばれました。私たちも、主ともっと親密になれる機会を逃してはなりません。

また遅れた服従は、不服従の別名です。私たちには、すぐに主の前に出て願い祈ることも必要です。

また、人々に押さえつけられても必死で手を伸ばし、憐れみを乞うバルテマイの姿は、周りの人を気にすることなく、ただイエス様に頼る者の姿です。

バルテマイが差し上げた手は、「主よ!どうかこの手をつかんで、私を罪の深みから引き揚げてください」と訴える手です。

私たちも主に向かって、もっと高く手を差し上げましょう。主は、上げられたあなたの手をしっかりと掴んで、あなたをさらなる<信仰の高み>へと引き上げ、弟子として喜んで仕える者としてくださいます。

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