=あなたが真にイエスの弟子となるために=

<福音書>マルコの福音書93037

旧約聖書には<苦難のしもべ>としてのキリストの姿が預言されていますが、人々はそのようなメシヤを求めてはいませんでした。

人々が待ち望んでいたのは、イスラエルの国を再興する<栄光のメシヤ>でした。しかしイエス様の<苦難のしもべ>の姿を受け入れられないのは、弟子たちも同じでした。

人は、世のことに心を奪われている時には、神のことばを受け入れることはできません。人はこの世の中で成功している時、神について無知になるのです。

弟子たちは「誰が一番偉いか」と語り合っていました。全く世的なことに心が向いていたのです。

社会の中でその者が偉くなること自体は、悪いことではありません。しかし主に従うことより、自分のことを優先するのは良くないことです。

弟子たちは、イエス様に従うことを優先する立場にある者です。

そこでイエス様は、弟子たちに二つのことを教えられています。

一つは『人の先に立ちたいと思うなら、みなのしんがりとなり、みなに仕える者となりなさい』です。“人の先に立つ者”とは、神様に最も信頼される者です。

“しんがりとなる者”は、神様の栄光を現わすためにすべての人に仕える者です。

12弟子たちは全世界に福音を伝える者たちです。神の福音は、遣わされたところで神と人に仕え、黙々と働く者によって宣べ伝えられるのです。

もう一つは37節『幼子のひとりを、わたしの名のゆえに受け入れるならば、わたしを受け入れるのです』。ここで最も大切なことばは、<わたしの名のゆえに>です。

人が幼子を受け入れても、何の見返りも期待できません。子どもは、相手を素直に信頼して疑うことを知りません。

主は私たちに教えられます。<イエスの名のゆえに>弱い人を受け入れなさい。世の名誉や富を追い求めることを止めなさい。

それらは、<キリストの名のゆえに>神様に信頼するところから始まるのです。

<イエスの名のゆえに>。このことばは、クリスチャンの行動原理であり、神様にすべてを委ねる者の合ことばなのです。