
=あなたが喜んでイエス様に従うために=
<福音書>マルコの福音書8章27~38節
人々は、自分たちの欲求を満足させるための<栄光のメシヤ>としての救い主を待望していました。イエス様は、そのような人々の不信仰を警戒されました。
弟子たちは言います。『あなたは、キリストです』と。イエス様は弟子たちに、ご自分のことを誰にも言わないように戒められました。
何故、イエス様は秘密を求められたのでしょうか。聖書に預言されているは<苦難のしもべ>としての救い主だからです。
今人々が、イエスが救い主であると知ったら、イエスを王としてローマに対して蜂起しようとするでしょう。
イエス様は、父なる神のご計画を成就するために地上に来られました。神の計画が優先されるべきです。
私たちも<栄光のキリスト>が頭をもたげ、不平不満だけが出てくることはないでしょうか。信仰者は、周りの状況の向こう側に神様の計画を見なければなりません。
人は世のことに心を奪われると、神様のご計画が見えなくなるのです。
世の反聖書的な事柄に、正しいクリスチャンであれば強い憤りを感じるものです。
さてイエス様は弟子たちに「自分を捨て、自分の十字架を負い」と言われています。
その先に<永遠のいのち>が用意されているからです。
人はイエス・キリストに心を向け、その先に<永遠のいのち>を見なければ自分を捨てることはできません。それは神の恵みに生きている者だけができるわざです。
神の恵みに生きること、それは自分の<いのちを買い戻す>ことです。
人は、自分のいのちを失った状態でこの世に生を与えられます。
人は全く神様により頼まなければ、失ったいのちを買い戻せません。
だから、あなたを買い戻すためにイエス・キリストが十字架で血を流してくださった。
私たちがそれに付け加えるものは何もありません。では、それを教えられた私たちは、イエス様への態度を曖昧にすることはないでしょうか。
人にとって、今のイエス様に対する態度が、その人の永遠の未来に対して決定的な意味を持つのです。<買い戻されたいのち>をもっと喜びましょう。