2024年08月18日(日)

=あなたが神の前に知恵ある者とされるために=

<使徒書>エペソ5章1~20節

教会は神への感謝のことばを語り、イエス・キリストを証しする所です。 私たちが教会の中で語ることばの良し悪しの判断基準の一つは、そのことばが他の人の信仰成長に役立つ恵みのことばであるかどうかです。

人が話すことばは、その者の心から出て来ます。ですからクリスチャンも話ことばには注意しなければなりません。人の本質は罪です。罪の心からは神をほめたたえることばは出て来ません。

イエス・キリストを罪からの救い主と信じて聖霊の賜物を受けた者だけが、神をほめたたえ、神に感謝することばを語るのです。

パウロはエペソ教会の人々に「偶像に仕える者は、絶対に天の御国を相続することはできない」と語気を強めて警告します。エペソ教会の人々は、罪を悔い改め、救い主キリストを信じました。

でも注意しないと、元の偶像礼拝の生活に戻ってしまう。パウロはそのことを心配しています。

そしてもう一つ、パウロが偶像礼拝を強く嫌う理由があります。それは、パウロが「偶像礼拝者は、神様/イエス様を馬鹿にしている」と感じるからです。

パウロも、イエス様から直接招かれた者として、偶像に対しては強い怒りの思いを持っていたに違いありません。

また6節でパウロは、偶像礼拝者のことばを“空しいことば”だと言っています。

そのような中身のない教えによって、人をまことの神から引き離そうとする者が“不従順の子”であり、まさにそのような者の上に神の怒りが臨むのです。<神の怒り>とは、罪に対する神の不快感の現われです。

またパウロは「キリストを信じたあなたがたは、再び闇の世界に戻ってはいけません。光の子どもとして歩み続けなさい」と訴えています。

闇の世界とは、神を見ることのできない世界です。罪は人から神を隠します。罪ある者は、その罪ゆえに光である神が見えないのです。

同じ地上で生きておりながら、クリスチャンは光の世界に住み、そうでない者は闇の世界に住んでいるのです。

まことの神以外のものを追い求める者は偶像礼拝者です。神よりも大切なものを持っている者も偶像礼拝者です。今の時代、多くの人々は自分でも気づかないうちに偶像礼拝者となっている。

だからパウロは私たちに「何が主に喜ばれることなのか、常に吟味しなさい」と忠告しています。私たちは、今日までの信仰生活の中で、主のすばらしさを教えられ、多くの恵みをいただいてきました。

主からの恵みを受けた者は、ますます主のために信仰の実を結びたいとの願いが心の底から湧いてきます。

それで、キリスト者の生活の基準は「主が喜ばれることは何か」であり、主に喜んでいただくことを選び取り、そこから新たな恵みをいただくのがクリスチャンライフです。

パウロは、ここでキリストによって私たちの内に起こされるものを光、それ以外のものを闇として記しています。 もちろんクリスチャンであっても、私たち自身の内には光はありません。

クリスチャンが、神を知らない闇の世界で輝くことができるのは、イエス・キリストの光を反射するからです。また世の暗闇のわざを明るみに出して誤りを認めさせることができるのも、光の子どもとして歩んでいるからです。

だからパウロは、私たちに「知恵ある者として、機会を十分に活かしなさい」と言っている。主の御心はイエス・キリストの上に現れます。

だから私たちは、イエス・キリストの光を受け、キリストを教えられ、キリストに従い続けるのです。その時、主の御心があなたの上にも現れるのです。

あなたが求め続ける<神の知恵>、それはイエス・キリストそのものなのです