
2024年08月11日(日)
=教会を建て上げるために=
<使徒書>エペソ4章17節~5章2節
4章17節『ですから私は言います』。この“ですから”には二つの意味が込められています。
一つは「教会を建て上げるためには、御霊による一致は欠かせません」であり、もう一つは「あなたがたは、以前は異邦人でしたが、今は、イエス・キリストに対する信仰によって“霊的なユダヤ人”となっています」との意味です。
パウロはここで、エペソ教会の人々はもはや異邦人ではなく、イエス・キリストへの信仰のゆえに神に選ばれた“霊的なユダヤ人”だと見ています。
だからパウロは、17節で『あなたがたはもはや、異邦人がむなしい心で歩んでいるように歩んではなりません』と強い口調で語っているのです。
それでパウロの話は、神を知らない異邦人の虚しさへと続いています。そのような“霊的異邦人”は、敬虔なクリスチャンの生きざまを見ても、そこに神を見い出すことができません。
聖書のみことばを聞いても、そこに神の声を聞くことができません。そのような世俗的な歩みしか知らない者のことを、パウロは、永遠のいのちとはまったく関係のない者と指摘しているのです。
だから私たちは、いろいろな場所でキリストを学び続けなければなりません。イエス様が<生きた教科書>だからです。イエス・キリストを知ることは、その者が造り変えられることです。
それでパウロは、イエス・キリストを教えられた者に生じる二つの変化について語っています。
一つは、古い生活態度を捨てることです。人はイエス・キリストを教えられなければ、その者のたましいは神から離れ、霊的に腐敗して永遠の滅びに捨てられてしまいます。
もう一つは、新しい人を着ることです。古い人の上に新しい人を着るのではありません。心の奥底まですっかり神に似せて変えられるのです。それは、新しい霊的な創造です。
では何のために、神は罪人である私たちが古い人を脱ぎ捨て、新しい人を着るようにされたのでしょうか。それは、神が一人でも多くの人とともにいたいと願われたからです。
初めに神のかたちに創造された人間は、自分の罪によって神のかたちを壊し、神との交わりの生命を失ってしまいました。
そのため、神の側で人との交わりの回復を願われたので、人は神にかたどり造られた新しい人を着せられるのです。
またパウロは、教会を人のからだにたとえて二つのことを訴えています。
一つは、教会に集う一人ひとりは、神から与えられている賜物が違うので、教会を建て上げるための役割も違うことです。
もう一つは、一人ひとりが主にある調和をもって成長しなければ、健全な教会を建て上げられないことです。
それでパウロは『神に倣う者となりなさい』と言います。これは非常に高い目標です。
パウロは、その前に一つのことばを追加しています。「愛されている子どもらしく」です。それは、「神によって選ばれて信仰者とされたので」という意味です。
そしてパウロは『愛のうちに歩みなさい』と言います。私たちは、キリストに倣う者とされねばならないのです。そのために、神に選ばれた者として、常にキリストに心を向け続けるのです。
そうする時に私たちは、キリストに似る者として変えられるのです。そのような者によって神の教会は建て上げられるのです。