
=あなたが主の御声を聞き続けるために=
<福音書>ヨハネによる福音書6章35、41~51節
ユダヤ人は、イエス様の奇蹟に示された神の力を受け止められずつぶやきました。私たちも、つぶやくことはないか。
神様が行われた様々な奇蹟を、自分の中途半端な知識と先入観によって「非現実的だ」と言ってつぶやく。つぶやきは不信仰を助長します。
『つぶやくのはやめなさい』。イエス様のこのことばには、「わたしに信頼しなさい」との響きがあります。
人を信頼するとは、その者に自分を任せることです。
信仰も同じです。信仰はあなた自身をイエス・キリストに任せることです。
しかし、あなたの努力で、あなた自身をイエス・キリストに任せることはできません。
それ故、イエス様は『わたしを遣わした父が引き寄せられないかぎり、だれもわたしのところに来ることはできません』と言われるのです。人が神のもとに引き寄せられるのは神様に会うためです。
しかし人は、自分の方から神様のところへ会いに行くことはできない。罪の満ち溢れる地上の国と罪のまったくない神の国とは、何の係わりもないからです。
地上の満足は神の国を忘れさせます。そのような世の中から、主が試練を通してあなたを選び、ご自身のもとへと引き寄せてくださった。
人が教えられるべきことは、自分の罪と神の愛です。人の罪は、神様を知ろうとしないことです。
そのため、イエス様が天から地上に降りてきて、神を見せてくださったのです。私たちはイエス・キリストを聖書の中に見ています。
あなたが、イエス様のわざを信じること、それが、あなたが神に会うことです。
また主は『わたしはいのちのパンです』(48節)と言われました。
人は、生きるための肉の糧として毎日パンを食べます。
イエス・キリストは、あなたの心の糧です。「イエス・キリストを食べる」。
それは、イエス様を罪からの救い主として信じてこの世で生かされ、罪の世において、永遠のいのちの喜びに生きることです。
あなたのたましいは、イエス・キリストを食べなければ死にます。
それはイエス様のみことばを聞き/教えられ、イエス様を罪からの救い主として受け入れることです。
主はあなたが今日も、差し出された<いのちのパン、キリスト>を食べ、あなたが永遠のいのちに生き続けることを願っておられるのです。
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