2024年07月28日(日)

=キリストの十字架の愛を感じるために=

<使徒書>エペソ31421

パウロの第一の祈りは「内なる人を強めてください」(16節)です。人は自分の力で神から差し出された恵みを受け取ることができません。聖霊の働きによって、私たちは主から差し出された恵みを受け取ることができるのです。

ですから、恵みを与えてくださるのは父なる神です。その恵みを受け取ってくださるのも聖霊なる神であり、恵みはまったくの神からのプレゼントです。私たちに求められるのは、イエス・キリストに対する信仰だけです。

パウロの第二の祈りは『信仰によって、あなたがたの心のうちにキリストを住まわせてくださいますように』。

信仰とは、あなたの心の中にキリストが住み続けてくださることです。それは、一時的な感情の高ぶりではなく、恒久的な神への服従です

第三の祈りは「あなたがたが、キリストの愛を知ることができますように」です。それは、人にはキリストの愛を知ることが難しいからです。

まず17節後半で、パウロは『愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたは、‥』と言っています。

植物が良い実を実らせるためには、見えないところで働く根の力によるところが大きい。その見えないところで働く力が愛だとパウロは言います。

また家を建てても、土台がしっかりしていないと、嵐が来るとすぐに壊れてしまいます。そのしっかりした土台が愛だとパウロは言います。

パウロにとっては、キリストがその者の内に住んでくださることが、その者の信仰生活が愛に根ざし愛を基礎として確立されることなのです。

またパウロは「人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように」と言います。それは十字架によって現わされた神の愛です。また、その神の愛に応えられたイエス・キリストの自己犠牲の愛です。

罪ある者のために、ひとり子イエス様を罪のいけにえとして世に遣わしてくださった父なる神の愛。その神の想いを知って、十字架で血を流して死んでくださったイエス・キリストの愛。

人はそのような人知をはるかに超えた神の愛、キリストの愛を理解することはできません。でも感覚として教えられることはできます。

どこの世界に、自分に逆らう者のために我が子を犠牲にする親がいるでしょうか。しかし、それが私を愛してくださった神の愛なのです。

人は、神がそのような愛で、私を愛してくださったことを感じなければなりません。あなたは、人知をはるかに超えた神の愛によって愛されているのです。

また、私たちは八鹿の地にリバイバルが起こされることを願っています。リバイバルは、一人ひとりの信仰者の心の中から始まります。

あなたの心の内に起こされるリバイバル。それは、あなたが“人知をはるかに超えたキリストの愛”を、身をもって感じて、その愛に生かされることです。

パウロは19節で「人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることは、あなたが神の持っておられるすべての豊かさにまで満たされるためだ」と言います。

それは、キリストの愛の内に、神のすべての豊かさがあり、そのキリストの愛を教えられることは、私たちが神のうちに充満している一切のもので満たされることだからです。

私たちが、そのようなキリストの愛が十字架で現わされた事実を教えられ、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれ程のものなのかを感覚として教えられたとき、私たちは変えられ、教会の中に神の愛の豊かさが満ち溢れるのです。