2025年08月03日(日)

=あなたが真の平安に生きるために=

<福音書>ルカの福音書121321

ある男がイエス様に願いました『遺産を私と分けるように、私の兄弟に言ってください』。しかしイエス様は「わたしは裁判官や調停人ではない」と言って退けられました。

それでイエス様は、世の欲を避けるべきことについて「どんな貪欲にも警戒しなさい。その人のいのちは財産にあるのではない」と言われました。 “警戒する”ことは“避けること”です。

イエス様はここではっきりと「あなたは、この世の物欲から離れなさい」と言われたのです世の欲には、人のたましいを引き付けてやまない力があります

たましいが欲に引き付けられると、その者は永遠のいのちを失うのです。それらのことばでイエス様は、人がもっとも大切にすべきものは<永遠のいのち>だと言っておられます。

それでイエス様は貪欲を避けるために金持ちの畑が豊作となった話をされたのです。

たとえ話の男はもともと十分な財産を持っていました。その上に豊作となって、さらに財産を増し加えられた。それは神の恵みです。その金持ちは、財産が増し加えられたことを、素直に神に感謝すればよかった。

しかし金持ちは、神への感謝を忘れた。 金持ちは、自分の持ち物のことで心が奪われていた。欲によって占領された人の心には、神を受け入れるスペースは残っていません

世的なものをもっともっとと願うのは、貪欲です。そのような者はいつも現状に不満であり、生活の中に喜びを見出すことはできません。

この金持ちの男も、いつも財産を増やすことばかりに気が捕られて心に平安がない。そのような者を、イエス様は“愚か者”と呼ばれる。

この金持ちの愚かさの具体的な生き方の第一は、死を想定していない生き方です。金持ちの男は、今夜死ぬことになっているのに「これから先何年分も物をためても」「それは無意味だ」とイエス様は言われる。

必要以上に財産を蓄えようとするところに“貪欲”が生じるのです。もう一つの死はたましいの死です。イエス様はここで、肉体の死の後の在り方、つまり永遠の視点を欠いた人生設計を愚かだと言われる。

人は、肉体の死とその後の裁きを考えて今を生きなければなりません

金持ちの男の愚かさの第二は、自己中心的な価値観です。男は言います「私の作物」「私の倉」「私の穀物や財産」と。そして「わがたましいよ、食べて、飲んで、楽しめ」と。

ここでイエス様は、男の関心が<自分だけ>に向いていることを強調されています。この男には、神の祝福を分かち合う姿勢がありません。この男は、神の祝福を自分だけのものにしようとしたために、その後の祝福を受けそこなった。

第三の愚かさは、富を神の前に積むことを知らないことです。ここで私たちが知るべきは<神の前に富を積み上げる>とは何かです。

それは自分に与えられた神の恵みを神のために使うことです。この男は、与えられた富を神の目的に沿って用いないことが愚かだったのです。

最後の愚かさは、たましいの満足を物に求めたことです。たましいの飢え渇きは、神との深い関係の中でしか癒されることはありません。

この金持ちの男は「私の作物をしまっておく場所がない」と嘆きましたが、本当に嘆くべきは、自分の心に神を受け入れる場所がないことです。

聖書全体のテーマは「永遠のいのちを獲得するために知るべきことは何か」です。

欲と永遠のいのちは、人生の対極にあります。ですから人は、右手で欲を握りしめ、左手で永遠のいのちを掴むことはできません

イエス様が人々にこのたとえ話を語られたのは、何をすれば永遠のいのちを獲得できるかを教えるためにです。『信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい』。(へブル12章2節)

イエスから目を離さない者は、主の栄光を現わすことを第一とします。そのような者を、主はあらゆる誘惑から守り<神の前に富む者>としてくださるのです。