
=あなたが、主の体験を喜んで証しするために=
<福音書>ルカの福音書24章36~53節
イエス・キリストの復活は、私たちの理性をはるかに超えた出来事です。
その出来事を心や知恵で納得しようとしても、そこに信仰は生まれません。私たちが、主の復活の事実の中に取り込まれて、はじめて信仰が生まれるのです。
私たちも、ただ盲目的にイエス様を信じているのではありません。聖書の預言に基づいて救いの道を開いてくださったので「イエスはキリストである」と信じるのです。
復活されたイエス様も、聖書に書いてあることを悟らせるために、弟子たちの心を開いて語られたのです。「聖書を悟る」とは、理解しようとしても行き詰ってしまうような事も「あゝ、そうなんだ」と納得することです。信仰が働いて納得するのです。
神を知ること。聖書のみことばを正しく理解することは、悟ることなのです。
墓の中で、完全に死なれたイエス様がどのように甦られたのか、誰も理解できません。しかし、その復活の事実を、弟子たちの証言と聖書の預言のみことばに基づいて「あゝ、そうなんだ」と受け止めるのです。それが<悟る>ことです。
私たちが聖書に記されていることを「あゝ、そうなんだ」と受け止めることができるのも、神様の憐れみによるのです。人は、神様に心を開いていただかないと聖書を悟ることができないのです。
人が心を開いてみことばに触れるとき、みことばはあなたに感動を与え、イエス・キリストがあなたにとって誰なのかを悟らせます。
私たちは、イエス様の権威によって人の心に悔い改めが生じ、罪が赦されることの証人です。そのことを自分の体験を通して、わくわくして宣べ伝えるのです。
そのために、主は聖霊を送ってくださったのです。
また聖霊は私たちに、イエス・キリストを宣べ伝える勇気を与えます。
イエス様が与えてくださる聖霊は、あなたが神をほめたたえるための新たな力/能力/才能を十分に与えてくださり、<復活の証人>としての信仰生活を過ごさせてくださるのです。
Write a comment: