
=あなたが主の復活に励まされるために=
<福音書>使徒の働き9章1~6節
サウロは何故、教会を迫害することは正しいと確信してダマスコへ出かけたのか。復活の主イエス・キリストに会っていなかったからです。
サウロは、イエス・キリストの復活を知らなかったのです。そのサウロに、復活の主イエス・キリストが現われてくださったのです。
天からの強い光とともに声がした。「サウロ、なぜわたしを迫害するのか」。圧倒的な力です。サウロが復活のイエス・キリストに会った瞬間です。
その後サウロは変えられ福音をローマ社会全体に宣べ伝える者とされました。
復活のイエスに会ったことが、その後のサウロの生き方を決定的に変えたのです。
では私たちは、イエス・キリストを信仰生活の隅に追いやってはいないでしょうか。もしそうであるなら、主のことば「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」は、私たちにも当てはまります。
また、サウロの回心の出来事は、私たちに問いかけます。「あなたは、復活のキリストにお会いしましたか」と。
イエスの復活を知っているのと、復活されたイエス・キリストに会うこととは別です。天の声は言いました。「立ち上がって、町に入りなさい」。
サウロは、立ち上がらなければならなかった。主は、さらに大きな恵みを与えるために「立ち上がりなさい」と言われます。
<立ち上がる>とは、あなたが個人的に復活のイエス・キリストに会うことです。それにより私たちが信仰者として、未熟な者であることを教えられます。
私たちは①他のクリスチャンの方々を見ることにより、②聖書のみことばによって自身の未熟さを教えられます。
“立ち上がること”のもう一つは、個人的にイエス・キリストに従うことです。
復活のイエス・キリストに会うことは、その人にどのように生きるべきか、あなたの主人は誰かを明確に示します。私たちは常に復活のイエス様にお会いする必要があります。
復活の主にお会いしたあなたには、次に“あなたのしなければならないこと”を成し遂げる力と喜びが備えられるからです。
それが<復活の希望に立ち上がる>者の生き方であり醍醐味です。
Write a comment: