
2025年06月01日(日)
=あなたが神の愛に仕える者とされるために=
<使徒書>使徒の働き16章16~34節
パウロは、ピリピの町で祈り場に行って、人々にイエス・キリストを語っていました。
すると、占いの霊につかれた女奴隷が付きまとうようになり『この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道を宣べ伝えています』と叫び続けました。
それでパウロは困り、その女から占いの霊を追い出したのです。この女奴隷が言っていることは正しいものですが、行っていることは誤りです。
そのことが正しいかどうかは、それにより教会の一致が強められ、神の栄光を現すかどうかによります。正しいことも、愛がなければ間違いなのです。
教会は互いに祈り合い、神の愛の上に建てられなければなりません。
さて女奴隷の主人たちは、金儲けをする望みがなくなったので、パウロとシラスを捕られ、むち打たれて牢に入れられました。
でもそのような不当な裁判であっても、パウロとシラスは長官の前で一言も反論しておりません。どうしてパウロとシラスは黙って鞭を受けたのでしょうか。
私はそこに、ポンテオ・ピラトの前に一言もお話にならなかったイエス様の姿を思い起こします。イエス様が十字架で血を流してくださったことは、<神の愛に仕えられた>ことの現れです。
この時パウロも、神の愛に仕えていたのです。だからパウロは人々に訴えられても、むちで打たれても、牢に入れられても、ただ黙して神の愛に仕えたのです。
神の愛に仕えるとは、神の導きをはっきりと覚え、感謝をもってすべてを神に委ねることです。それで二人は夜の獄中にあっても、祈りつつ、神を賛美する歌を歌ったのです。
これは、彼らが単に苦難を受け入れたのではなく、神の御心に従い、信仰をもって行動したことを表しています。
このとき獄中全体に聖霊が満ちておられました。それで他の囚人たちも、パウロとシラスの祈りの声に教えられ、賛美の歌声に聞き入っていたのです。
聖霊が満ちている所には、神の力が働くのです。
その夜、神は大きな地震を起こされました。神が起こされた地震は、牢獄の土台を揺り動かすとともに、看守の心も揺り動かしました。
牢獄のすべての扉を開けましたが、看守の心の扉も開けました。囚人がつながれていた鎖を外しましたが、看守がつながれていた世的な鎖をも断ち切ったのです。
このことを通して、看守は神の愛の働きを目の当たりにし、パウロとシラスがただの囚人ではなく、神の使者(神の愛に仕える者)であると悟ったのです。
神の愛に仕える者の祈りの声と賛美の歌声は、神の御前に届き、聞く者の心を揺り動かすのです。 信仰者の祈りの声/賛美の歌声は、神の力を呼び起こし、ダメだろうと思っていたことを現実のこととします。
パウロとシラスは看守に言います。31節『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます』。このことばの通りに、この看守の家の者すべてが救われました。
ここで私たちが教えられることは<神の力は、神の愛に仕える者を通して働く>ことです。
神の愛に仕える者とは、神の私への愛がどれほど大きく/素晴らしいものなのかを教えられて、その神の想いに喜んで応えようとする者です。
また神の愛を知るとは、イエス・キリストを知ることです。イエス・キリストは、あなたの罪を赦すために十字架で死んでくださり、天の御国への道を示してくださいました。
パウロは、復活のイエス様から直接そのことを教えられ、喜んで<神の愛に仕える者>と変えられました。その喜びは、どんな困難に遭遇しても失われることはありません。
私たちも、これまでの人生のどこかでイエス・キリストに出会った者です。さらにイエス・キリストを見つめ、イエス・キリストから教えられようではありませんか。
その時あなたは<神の愛に仕える者>と変えられるのです。