
=あなたがより主により頼む者となるために=
<福音書>ルカの福音書21章25~36節
待降節になりました。主を待ち望むことの四つの面を考えます。
一つ目は、人類の罪からの救い主のキリストを待つことです。
人は、神様との約束を破ったとき罪が入りその者は死にました。死ぬとは、肉体の滅びではなく、神様から分離されることです。私たちの創造主である神様と関係なく生きていることは死んでいることなのです。
神様は、人間のそのような状況を哀れに思われ、人とサタンの間に敵意(救い主)を置くと言われました。この他にも「救い主は、ベツレヘムの町で生まれる」、「救い主は、神の力によって生まれるとの預言」があります。
イエス様は、旧約聖書のメシヤ預言をすべて成就して地上に来られたのです。
二つ目は、最後の審判者としての救い主を待つことです。
ルカ25章には、再臨の時に天の万象も揺り動かされる(26節)と記されています。しかしイエス様はその時「希望を持ちなさい」と言われる。
救い主を知らない者には、再臨は裁きの時/恐怖の時ですが、信仰者には罪の贖いの完成の時であり希望の時です。
再臨に備える方法が三つあります。①みことばに信頼する信仰生活です。みことばにより、信仰者は主に信頼して生かされるのです。
②心をキリストに向けることです。常にイエス様から励ましを受けるのがキリスト者です。③いつも祈ることです。クリスチャンは、祈りのことばによって活力を与えられるのです。
救い主を待ち望む三つ目の面は、未信者の心の中に救い主が生まれてくださるのを待ち望むことです。
人は、心にキリストを迎え入れなければ、自分の罪深さが分かりません。それが分からなければ、その者は永遠に神様と関係のない者となってしまう。
四つ目の面は、私たち信仰者の内に、主がさらにはっきりと現れてくださることを待ち望むことです。人は、神様を知れば知るほど罪深さがハッキリと示されるのです。
今日から始まる待降節の時、イエス様が・救い主として生まれてくださったことを感謝しつつ、・最後の審判者として来てくださる再臨を待ち望みつつ、
・身近な人々の心の中に入ってくださることを期待しつつ、・私にゆるがない霊を与えてくださることを期待して過ごしましょう。
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