2025年11月30日(日)

=主に期待してアドベントを過ごすために=

【要約】<福音書>マタイの福音書243544

すべての人は、この世に存在する天地万物がいつかは滅びることは、何となく納得されるでしょう。太陽でさえ燃え尽きる時が来ます。その時、地球上のすべての生物が滅びることは容易に想像できます。

でもイエス様は、ご自身が再臨される時に神が創造されたすべてのものが無くなると言われるのではなく、その時には現行の世の秩序が終わり、もう消え去ることのない新しい世界が造られると言っておられます。

特に『わたしのことばは決して消え去ることはありません』と言われたことは、イエス様の語られることばによって預言された新しい世界の永遠性と確実性が語られています。

当時の人々は、再臨のときは大きな災害が起きると考えていたために、いつ再臨があるのかについて強い関心を持っていました。

でもイエス様は再臨について、「それがいつ起きるのか誰も知らない。ただ父なる神だけが知っておられる」と言われます。

イエス様がそのように言われることは、人にとって再臨がいつなのかを知ることが大切なのではなく、再臨があることは確実なこととして、それがいつ起きても良いように準備しつつ待ち望むことが大切だと促しておられるのです。

イエス様は「人の子の到来はノアの日と同じように実現する」と言われます。今の社会は悪が増大してノアの時代と似ています。

そのような中で、キリスト教会は再臨が来ることを人々に語るのです。でもほとんどの人は、教会の声に耳を傾けず、教会に入ろうとしません。

それで神は忍耐して待っておられます。人々が自分の罪を悔い改め、教会に入ることを待っておられます。でも箱舟の扉が神の手によって閉じられたように、死によってその者の天の御国の扉は閉じられます。

その人にとっての救いの期限は“死ぬ時”です。 人にとって死はいつ来るのか分かりません。だから信仰によって備えることが求められるのです。

また再臨は人々が日常に没頭している中で突然訪れます。そのため主は『目を覚ましていなさい』と言われます。これも「いつ来るか分からないからこそ、常に備えておきなさい」との忠告です。

私たちも、自分が永遠のいのちを何にもまして求めているか、常に吟味する姿勢を持つことは大切です。

また私たちが福音を語っても、世の人はなかなか受け入れません。でもイエス様は「一人は取られ、一人は残される」と言って、再臨の時の選びと分離の厳しさを示されました。

だからイエス様は「目を覚ましていなさい」と言われます。目を覚ますとは、再臨がいつ来てもよいように備えを怠らないことです。

逆の表現をすると、永遠のいのちの喜びに生かされていることが<再臨の備え>なのです。

主が人に求められるのは、常に信仰を働かせてご自分に従うことです。

アドベントの時、私たちは再臨を待ち望む信仰者として、主との関係を密接なものとして保ち続け、再臨の時に与えられる報酬を楽しみつつ信仰生活を過ごさせていただきましょう。

そしてアドベントのもう一つの過ごし方は「未信者の心のうちにも、主が入ってくださることを待ち望む」ことです。

主は、一人でも多くの者がご自分を救い主として信じることを望んでおられます。 私たちは、親しい方が罪を悔い改めて救われることを心から願っています。

私たちは先に救われた者として、まだ教会から遠く離れている方々の心の中にも、主が到来してくださることを期待しつつ過ごさせていただきましょう。

それが、私たち信仰者が<待ち望むべきもの>です。