
2025年04月06日(日)
=あなたが主を身近に感じるために=
<福音書>ヨハネ12章1~8節
イエス様は、ベタニアのエルサレムに入る前にマルタとマリアの家に来られました。マリアは、イエス様が入って来られた瞬間、いつもとは違う何かを感じ取りました。それは、イエス様と霊的に非常に近い者だけが感じ得る感覚です。
マリアにとってイエス様は霊的に非常に近い、いとおしい存在でした。それで彼女はイエス様が重大な決心をされていることに気が付いたのです。神に近いものは神の御心を感じるのです。
マリアは、イエス様に対して非常に鋭い感覚を持っていました。それで、弟子たちでさえも気が付かなかったイエス様の変化に気が付いたのです。だからマリアの行動は、弟子たちにも理解できなかった。
3節『マリアは、純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ取って、イエスの足に塗り、自分の髪の毛でその足をぬぐった』。
イエス様と弟子たちが、テーブルを囲んで食事をしている。マリアはそっとイエス様の足元に近づき、持ってきたナルドの香油をイエス様の足に注いで自分の髪でぬぐい始めた。良い香りが部屋中に満ちたでしょう。
マリアはずっとイエス様のそばにいたかった。でもマリアは感じ取ったのです。もうすぐイエス様が自分から離れて行かれることを。マリアにとっては、イエス様の近くにいることが幸せなのです。
マリアは、イエス様のために何かしたいと思った。だからマリアは、高価な香油を惜しげもなく注ぎ髪の毛でイエス様の足をぬぐったのです。
ナルドの香油は非常に高価です。マリアはイエス様のために自分の持てるすべてを献げたのです。でも惜しいとは思わなかった。
マリアがイエス様に高価なナルドの香油を惜しげもなく注いだことは、物質的なものを超えて、イエス様への絶対的な愛と信頼を示したのです。
またマリアが女性の象徴でもある髪の毛でイエス様の足をぬぐったことは、謙遜さと自己犠牲を表すとともに、自らを低くして「私は生涯あなたに従い続けます」との決意を表したのです。
これはマリアの信仰告白であり、イエス様への深い献身と愛の表現です。マリアの愛は確実にイエス様に受け入れられました。香油の香りは、マリアのイエス様への愛の香りです。
しかし、イスカリオテ・ユダは「この香油を売って、人々に施さなかったのか」とマリアを責めました。この後ユダは銀貨30枚でイエス様を祭司長たちに売ることになります。
マリアは、すべての財産を献げてイエス様への愛を示しましたが、ユダは、それよりもはるかに陳腐なものでイエス様を裏切ったのです。
あなたは、あなたの心の内にマリアの姿を見るでしょう。あなたはイエス・キリストを宣べ伝えるために経済的/時間的にも犠牲を払い、他の人を助けたことがありました。
それらは、あなたがイエス様に注いだナルドの香油です。主は、あなたが注いだナルドの香油を忘れられることはありません。
しかし、あなたは自分の心の中にユダの姿も見ないでしょうか。あなたはお金に執着して、イエス様を苦しめたことはなかったでしょうか。
あなたは、忙しいことを口実にして、イエス様に仕えることを拒んだことはなかったでしょうか。 それらは、あなたの心に潜むイスカリオテ・ユダです。罪は代価を払わなければなりません。
ただ、代価を払うのはあなたではありません。あなたの罪の代価は、イエス様が十字架の上ですでに支払ってくださいました。
あなたは、十字架の上におられるイエス・キリストの足に、あなたの大粒の涙を注ぐべきではないか。マリアのように心から主に感謝の涙を注ぎ、生涯イエス・キリストに喜んで仕えないでしょうか。
私たちが献げるものは、ナルドの香油のような高価なものではないかもしれない。でも私たちはマリアと同じ程度に、イエス様への愛をおささげしたいと願っております。
マリアの心の叫びが聞こえて来るようです。「私は、どのようなときでもイエス様の近くにいたいのです」と。
主イエス・キリストの近くにいる。それが、主があなたに望まれることであり、あなたにとってももっとも幸いなことなのです。