2026年03月01日(日)
=あなたが神の祝福を受けるために=
【説教要旨】<旧約聖書>創世記17章1~8, 15~21節
アブラムへの主の祝福の内容は一貫して「あなたの子孫を増やす」です。でも彼の妻サライは不妊の女性であり高齢でした。
それで彼は、自分に子どもが与えられないことを不安に思い、妻サライの女奴隷ハガルによって子どもを得たのです。それがイシュマエルです。それはアブラムの失敗です。
でも人の失敗によって、神の計画が変わることはありません。
しかしながらアブラムは失敗を繰り返しながらも、神にしがみついていたのです。彼は主の語りかけの多さではなく、主が語られたことばの重さに生きていたのです。
信仰とは、「沈黙の中で神を信じ続けること」でもあるのです。
確かにアブラハムは、ハガルの事で失敗しました。しかし神は、そこにアブラハムの不完全さを見て嘆いておられるのではなく、ご自身の約束をさらに豊かにするために、アブラハムを整えようとしてこのことばを語っておられるのです。
ですから「全き者であれ」(1節)とのことばも「わたしの前に誠実でありなさい」、「わたしに全面的に信頼して歩みなさい」との意味であり、アブラハムを“祝福の器”として整えようとされる<神の愛の招きのことば>です。
そして主は、私たちをもアブラハムと同じように、さらに祝福を受ける器として「あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ」と語られています。
ですから主がアブラハムに語られたことは、イエス・キリストを信じる私たちにもそのまま当てはまる霊的原理です。
主はアブラハムと同じようにあなたを招いておられます。祝福の土台はすでに完成しています。主が私たちを祝福してくださる土台は、神の側で完全に整えてくださいました。
私たちは、①主の憐れみにより約束の地(天の御国)へ入れられるために、罪の世から導き出されました。②罪は、イエス・キリストの十字架によって完全に赦されました。③賜物として聖霊を与えてくださいました。
私たちには、天のあらゆる霊的祝福が約束されています。だから今も、主は私たちに「条件はすべて整っている。わたしはあなたをさらに祝福された者として整えよう」と語っておられるのです。
アブラハムは、主によって名前が変えられ、約束の地(カナンの地)を与えるとの約束をいただき、子どもの名前(イサク)が告げられ、「サラは来年の今ごろイサクを産む」との具体的な約束までしてくださったのです。
その事により、アブラハムは励ましを受け、主の器としてますます整えられ<信仰の父>と呼ばれるようになったのです。
そして主は私たちをも、祝福を受ける器として整え続けてくださいます。だから私たちにも「わたしの前に歩み、全き者であれ」と言われます。
パウロは言います。・「御霊によって歩みなさい」(ガラテヤ5章16節)。・「キリストの満ち満ちた身丈にまで達しなさい」(エペソ4章13節)
ペテロが言います。・「あなたがたは聖なる者でなければなりません」(Ⅰペテロ1章16節)。そしてイエス様も言われます。・「完全な者でありなさい」(マタイ5章48節)
これらのみことばは、主の“重荷の命令”ではなく“祝福を受け取る器としての招き”のことばです。
私たちに対する神の願いは、あくまで「もっと祝福したい。だから、もっとわたしを信頼して歩んで欲しい」です。もちろん一人ひとりに対する祝福の形は違います。
ある人には福音宣教の使命が与えられるでしょう。ある人には、信仰者としての人格の成熟かもしれません。また別の人は、人間関係の回復であったり、忍耐であったり平安による祝福かもしれません。
しかし、そこに共通しているものは、「主に信頼して歩む者は、<祝福を受け取る器>として整えられる」との霊的原理です。
そして、そのように霊的に整えられた者によって、イエス・キリストの福音は全世界に広められるのです。