
=あなたが更なる信仰の実を結ぶために=
<福音書>ルカの福音書13章1~9節
私たちは、周りに振り回されずに正しい判断をしなければなりません。
何人かのガリラヤの人たちが、いけにえをささげているその場で殺されることは大惨事です。人々はその人たちは罪深い人たちだと思っていました。
その背景には「自分たちは選ばれた者であり、滅ぼされることはない」との間違った思いがあります。イエス様は言われます『あなたがたも悔い改めないなら、同じように滅びます』。
確かに、イスラエルは選ばれた民です。しかし、彼らが選ばれたのは神様の一方的な憐れみの結果です。それでイエス様は「あなたがたも悔い改めないのなら滅びます」と言っておられる。
そこでイエス様は、悔い改めを教えるために “ぶどう園に植えられたいちじくの木”のたとえ話をされました。 ぶどう園の持ち主は、いちじくに実がなるのを期待していました。
でも三年過ぎても実はならなかった。持ち主は管理人に「切り倒しなさい」と言う。いちじくの木が実らせるべき実、それは悔い改めの実です。
イスラエルの人々は「私たちは神の選民だ。滅ぼされることはない」と傲慢になり悔い改めることを忘れた。
私たちは自分自身に問わなければなりません。「私は、本当に神様の前に実を結ぶ木なのか」。
悔い改めの心に生きない者は、神様から遠ざかり続け、神のいのちに生きることができなくなるのです。
クリスチャンも罪を持って生きていますが、何故滅ぼし尽くされずにいるのか。イエス・キリストが私たちを弁護し続けてくださるからです。
私たちが知っている神様は“待つ神”です。 私たちも「どうして」と悩むこともあります。悩んでも構いません。
しかし、大切なことは、そのような時こそ私たちが悔い改めることをわきまえていることです。 悔い改めるとは帰ることです。まことの神様のもとに帰ることです。
私たちが「どうして私はぶどうの木ではないのだ」と呟き続けている限り実は実らず、悔い改めて神様のもとに帰ることはありません。
私たちは、忍耐して待ってくださっている神様のもとに帰るときに、初めて実を結ばせていただけるのです。
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