
2025年06月08日(日)
=あなたが神の栄光を現すために=
<使徒書>ヨハネの福音書14章7~17, 26節
イエス様は12弟子たちに『あなたがたは、すでに父を見たのです』と言われました。そのことばにピリポが『私たちに父を見せてください』と答えました。
イエス様は弟子たちと約三年間ともに過ごされ、その間「わたしを見ることは、父なる神を見ることです」と教えてこられたのです。
そしてイエス様は、私たちにも「あなたはわたしをどのように見ているのか。聖書のみことばをどのように読んでいるのか」と迫ってこられます。
それで、あなたがイエス様のわざの内に神の力を見、イエス様のことばの中に神の声を聞くのを助けるために、聖霊が与えられたのです。聖霊はあなたに、イエス・キリストを通して父なる神を教えます。
今イエス様は、最後の晩餐の席で弟子たちに語っておられます。その時になっても、弟子たちはイエス様の本当の姿を知らない。
それでイエス様は、聖霊なる神について彼らに語っておられます。『わたしが父の内にいて、父がわたしの内におられる』(10節)。
このことばでイエス様は「父なる神と子なる神イエス様とが一つであることは、理解することではなく信じるべきことだ」と言っておられるのです。
神は、あなたが理解して納得することを求めておられません。信じることを求めておられるのです。
そもそも有限の存在である人間が、無限の存在である神を理解することなどできるはずはありません。人が信仰を持つのは聖霊の働きによるのです。
今イエス様は、弟子たちに<聖霊によって信じること>を語っておられます。
イエス様は、『わたしが言うことばは、‥わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざを行っておられる』(10節)だから「わたしが言うのを信じなさい。わざのゆえに信じなさい」とあくまでも信じることを要求されるのです。
またイエス様は『わたしを信じる者は、わたしが行うわざを行い、さらに大きなわざを行います』(12節)と言われます。
イエス様のわざ。それは福音宣教です。そして<さらに大きなわざ>とは、弟子たちが異邦人の所へも出かけて行って福音を宣べ伝えることです。
イエス様は、主にユダヤ人に福音を語られました。しかし弟子たちは全世界に出て行って、異邦人にイエス・キリストの福音を宣べ伝えるのです。その福音宣教の原動力となるのが“聖霊”です。
それでイエス様は、弟子たちに聖霊の働きについて教えられます。
『わたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは、何でもそれをしてあげます』と言われます。「わたしの名によって求める」とは、イエス様の御心と一致した願いを祈り求めることです。
聖霊は人の心に働いて、神の栄光を現したいとの願いを起こさせるのです。聖霊は人の欲望を満足させる神ではありません。
ここで私たちは悩みます。私たちはイエス・キリストを信じるクリスチャンです。聖霊も与えられています。しかし一方で私たちは、自分の心の中に罪が残っていることも知っています。
そして私たちが自分の罪に目を留めたときにサタンはささやきます。「そうだ。お前は罪人だ。そんなお前が神の栄光を現せるはずはないだろう」と。それで不安になってしまう。
そんな私たちを、聖霊は助け主として、サタンの誘惑から守ってくださるのです。
主は言われます。15節『もしわたしを愛しているなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです』。<わたしの戒め>とは何でしょうか。
ヨハネの福音書15章12節『わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです』。八鹿教会には“互いに愛し合う愛”が満ちていることを感謝いたします。
私たちはイエス様の愛に気づくときに、聖霊に満たされ、互いに愛し合う愛に生きる者とされるのです。そのイエス・キリストの愛に気づかせてくださるのが聖霊なる神です。
聖霊なる神は、キリストの愛から離れないように、私たちとともにいて助けてくださるのです。