
2024年12月22日(日)
=あなたが神の愛に気がつくために=
<福音書>ルカの福音書1章26~38節, 2章 1~7節, 2章8~20節
2024年のクリスマス。おめでとうございます。
「なぜイエス・キリストが地上に来なければならなかったのでしょうか」。
人は神の性質を持って造られました。神には罪はありません。そのため最初の人アダムとエバには罪はなく、エデンの園で神とともに過ごしていたのです。
「神とともに過ごす」。それは、人にとって最高の幸せです。しかしアダムとエバは、サタンの誘惑に負けて神との約束を破り、罪を犯し、罪ある者となって神の前から追放されました。
神はまったく聖い方であり、罪ある者とともに居ることはできないからです。
しかし神は愛なるお方でもあるため、もう一度人をご自分のもとに招きたいと願われました。でもそのためには、人の罪が処理されなければなりません。
それで神は、人間の罪を贖う者として、ご自分のひとり子を地上に送り、罪なき生涯を送らせ、十字架ですべての人の罪を贖うために血を流すことをご計画されました。それがクリスマス物語の始まりです。
『わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ』。(創世記3章15節)
サタンの目的は「人を神から引き離すこと」です。それでサタンは、救い主キリストを十字架につけて殺すことに成功しました。
しかしその十字架によってキリストは人が神のもとへ行く道を開かれ、サタンに致命的な打撃を与えたのです。それで、創世記3章15節のみことばは<原始福音>と呼ばれています。
マリアは御使いから「あなたは、聖霊によって身ごもり、男の子を産む」と知らされます。マリアとヨセフは戸惑いました。
しかし、信仰の力は理性による戸惑いにまさります。彼らは、信仰によってその出来事を受け止めました。
その時、ローマ皇帝から住民登録の勅令が出されたのです。そのため夫ヨセフは、臨月を迎えた妻マリアを伴ってベツレヘムへ向かいました。
ヨセフとマリアのベツレヘムへの旅。そこに見え隠れするのは、世の権力者に振り回された徹底的に弱い者の姿です。救い主キリストは、母の胎にいるときから危険にさらされました。
また救い主キリスト誕生を知らされたのは、幾人かの羊飼いだけでした。羊飼いも、社会の底辺を構成する人たちです。
神は、そのような社会の底辺を構成する貧しい者たちに、最初に救い主の誕生を知らせてくださったのです。私たちは、そこに“神の愛のご計画”を教えられます。 救い主に出会った時に、人の心はまことの喜びで満たされます。
すべての人は罪を持っています。神の前において、罪は貧しさの象徴です。でもすべての人が、「自分は神の前に罪ある者だ」と知っているわけではありません。
それで神は、救い主キリストを貧しい者の中に生まれさせました。そして生涯を通して貧しい者の姿を貫かれ、最後はゴルゴダの丘で囚人とともに十字架について死んでくださったのです。
あなたの罪を赦すために、イエス・キリストは十字架で死ななければならなかったのです。なぜなら、あなたが罪(サタン)に対して徹底的に弱いからです。
それは、弱い私たちが、イエス・キリストにあって強い者とされるためにです。神の愛はイエス・キリストによって明確に示されました。
このクリスマスの時、私たちは差し出されたキリストの恵をしっかりと握りしめ、喜びと感謝を持って過ごさせていただきましょう。