
2025年01月01日(水)
<讃美歌>讃美歌374番「たよりまつる」
<聖書日課>マタイ25章31~46節「霊的に元気な信仰者」
イエス様は、マタイの福音書25章で、天の御国に入れられる人々について語っておられます。
1~13節では「花婿を迎える10人の娘たちのたとえ話」、14~30節では「タラントのたとえ話」を話された後、31節からは、さばきの日に主の前に集められる羊と山羊について語られています。
羊は天の御国に入れられ、山羊は永遠の火に投げ込まれて滅ぼされるのです。32節には「羊を山羊からより分ける」と書かれています。この表現は、世の中には圧倒的に山羊が多いことを示しています。
では羊と山羊の違いはどこから来るのでしょうか。それは、神を第一にするか、自分を第一にするかの違いです。
たとえ話の中で王は羊たちに言います。「あなたがたはわたしが空腹であったときに食べ物を与え、渇いていた時に飲ませ‥」。
羊が王に言います。「主よ。いつ私たちはあなたが空腹なのを見て食べさせ、渇いているのを見て飲ませて差し上げたでしょうか。」
この会話は、羊たちが無意識的に主への奉仕をしていたことを表わしています。
また王は山羊たちに言います。「おまえたちはわたしが空腹であった時に食べ物をくれず、渇いていた時に飲ませず、‥」。 それで山羊たちは王に言います。
「主よ。いつ私たちは、あなたが空腹であったり、渇いていたり‥するのを見て、お世話しなかったでしょうか」。それは山羊たちが、自分たちが見返りを受けるために意識的に良いと思われる行いをしていたからです。
40節の王のことばがすべてを物語っています。「あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです」。
もっとも小さい者を助けても、何の見返りも期待することはできません。それはイエス様が言われた「互いを愛する愛」(ヨハネ13章34節)から生まれ出る行いです。
互いを愛する愛は、イエス様を信じる者だけができる愛のわざなのです。それはイエス様が、私のようなもっとも小さい者を愛してくださり、最後は十字架で死んでくださった愛から出てくるからです。
イエス様を源とする愛の行いは、イエス様に倣う者だけができる愛の行為です。
2025年も、八鹿教会の一人ひとりがイエス様をしっかりと見つめつつ、感謝をもって歩ませていただきましょう。 そうする時に、主はあなたを「互いに愛する愛」に生きる者と変え続けてくださいます。
そしてそのような者は、主の前にますます霊的に元気な者とされ、主のご用に用いられるのです。あなたのこれからの一年が、主の前に元気な者としての一年でありますように願っております。
アーメン