<讃美歌>讃美歌331番「罪の深みに」

<聖書日課>マルコ7章9~23節「誘惑は外から、罪は内から」

イエス様は、9節でパリサイ人たちや律法学者たちを責めておられます。

彼らが、自分たちが作り出した言い伝えを守るために、神様の戒めをおろそかにしていたからです。

ここでイエス様は、コルバンの規定を例に挙げておられます。”コルバン” とは ”ささげもの” という意味です。

ある人が、両親に渡すべき生活費を「これはコルバンとして、神にささげられました」と言えば、

それ以上、両親のために生活費を渡さなくてもよい、との決まりが作られていました。

これは、「あなたの父と母を敬え」(出エジプト20章12節、十戒)をおろそかにすることです。

しかしイエス様は、ここでパリサイ人/律法学者たちの<行い>を問題にされているのではありません。

問題なのは、人の内側に潜んでいる<罪>です。世の中にはいろいろな誘惑があります。

すべての人は、罪(悪い考え、不品行、盗み‥等)がやってはいけないことであるのは知っています。

しかし、誘惑に負けて罪を犯してしまうのです。

パリサイ人たちも、「人から良く見られたい」との誘惑に負けて、多くの言い伝えを作り、人の目を気にしながらそれらの決まり事を守っていたのです。

私たち信仰者も、誘惑(ご近所の人たちの目、面倒くささ‥等)に負けて、神様のことをおろそかにしていることはないでしょうか。

マルコは、21~23節に私たちの内に潜む多くの罪を列挙しています。

そのような罪が、そのまま外側に顔を出すことはなくても、サタンの誘惑にあった時に行動として現れることがあります。

では私たちはサタンの誘惑に負けないことです。どうすれば良いのでしょうか。

イエス様に頼ることです。神様のみことばにすがることです。

そのために、私たちは二つのことを正しく知る必要があります。

一つは、私たちの心には罪があることです。

もう一つは、私たち個々の力だけでは、サタンの誘惑に勝てないことです。

サタンは、信仰者をまた信仰に入ろうとする人たちを巧みに誘惑して、その人を神様から引き離そうとします。

アダムとエバが、サタンの誘惑に負けたように、私たちも自分だけでは必ず負けます。

そのために、私たちは心を常にイエス・キリストに向け、また神のみことばに向けなければならないのです。

そうする時に、あなたは外から来る誘惑から守られ、うちに潜む罪からも守られるのです。

そのような者を、主は喜んでくださり、大いなる祝福を与えてくださいます。

あなたが、これからも誘惑から守られ、主の大いなる祝福のうちに過ごされますように祈っております。

アーメン

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