
<讃美歌>讃美歌453番「栄あれ、死に勝ちて」
<メッセージ>マルコ16章1~8節「私たちのガリラヤ」
4月4日(日)のイースター伝道礼拝では、ヨハネの福音書から「復活の主に会う」とのテーマで教えられました。
今回の祈り会では、マルコの福音書から、復活の日の朝に女性たちが経験したことから学びます。
ヨハネの福音書では「女たち」と書かれていますが、具体的な名前はマグダラのマリヤ一人しか記されていません。マルコの福音書では、女たちが三人であったこと、その三人はマグダラのマリヤ、ヤコブの母マリヤ(イエス様を産んだマリヤ)とサロメであることが明確に記されています。
またマルコの福音書とヨハネの福音書の”主の復活”の記事には、細かい点で矛盾するような記述がありますが、聖書が伝えようとしている重要な事においては一致しています。
・まず女たちがイエス様の遺体に油を塗りに墓に向かったこと。 ・何かの力により、墓の石が取りのけられていたこと。 ・確かにイエス様の遺体は墓の中になかったこと。 ・天使が現れたこと、 です。
また、マルコの記事では天使が「弟子たちにガリラヤに行くように。そこでイエス様に会える」と伝えています。ヨハネの福音書では、突然話がガリラヤに移っています。
何故、イエス様はガリラヤを指定されたのでしょうか。そこは、イエス様が弟子たちとともに最初に福音宣教を始められた場所です。復活のイエス様は、弟子たちよりも先んじてガリラヤに行かれたようです。(7節) 主は、弟子たちが行く所に先んじて出かけていてくださいます。
復活のイエス様は、私たちがこの但馬の地に来るよりも先にこの地域に来てくださり、私たちの宣教の働きを助けてくださっています。 私たちにとってのガリラヤ。それは、八鹿の地であり、村岡であり、新温泉町であり、朝来市でもあります。
私たちは、復活のイエス・キリストに遣わされたところで会っているでしょうか。
あなたが遣わされたところで、復活のイエス・キリストを捜してください。きっと見つかります。
主は、あなたとともに働いてくださいます。そのようにして、福音は全世界に広がったのです。
私たちにとってのガリラヤ。それは、八鹿教会に与えられている一人ひとりの求道者の方でもあります。
主は、私たちがその人に接触する前から、その方の心に働きかけてくださっています。
私たちは、その方にイエス・キリストの復活を、喜びをもってその方に伝えましょう。
その方は、ご自分の心の中にイエス・キリストを見出されるでしょう。
これから先、私たちがどこに遣わされるか分かりません。誰とお会いするか分かりません。
しかし、あなたより先に復活のイエス様が歩んでいてくださいます。
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