
2024年04月03日(水)
<讃美歌>讃美歌105番「たぐいなきみ恵よ」
<聖書日課>マルコ16章1~8節「福音の完結」
この福音書をまとめたマルコは、1章1節でこの福音書の目的を明確に示しています。『神の子、イエス・キリストの福音のはじめ』。 マルコは、このことばで三つのことを語っています。
「神の子」:イエスは”神の子”、すなわち神ご自身であること。
「イエス・キリスト」:イエス様は、旧約聖書にその到来が預言されているキリスト(救い主)であること。
「福音」:そのイエス様が、人にとって良き知らせ(福音)をもたらしてくださったこと。
この三点が、マルコが福音書を読む人に語っていることです。
そしてマルコは、福音書の最後にイエス様の復活の記事を書いています。(当初、マルコの福音書は16章8節で終わっていました。9節以降は後日、誰かが追記したものと考えられています。)
すなわち、マルコは「神の子」、「イエス・キリスト」、「福音」の三つの要素は、すべてイエス様の復活にかかっていると言っています。 もし、イエス様の復活がなければ、
・イエスは神の子ではなく、ただ憐れみ深い人の子になります。
・イエスはキリストではなく、「自分はキリストだ」と主張したただの人になります。
・イエスの十字架の死は、全人類の罪の贖いとはならず、ただ自己満足の死になります。
そこから言える結論は、イエス様の復活は私たちクリスチャンの信仰の基盤であることです。
イエス様の復活は、人の常識では考えられないことです。そこに神の知恵があります。神は、常識では考えられないことを信じる信仰を求められました。
週の初めの日の朝早く、女性たちがイエス様の墓に行くと、墓の中にはイエス様の遺体はなく、青年(御使い)が座っていました。5節には「彼女たちは非常に驚いた」書かれています。
み使いは言います。「驚くことはありません。‥イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。‥そこでお会いできます」。
福音書記者マルコは、ここで「人はイエス様の復活を、ただ驚いていてはいけない。人はどこかで、復活のイエス様にお会いしなければならない」と言っています。
そうです。イエス・キリストの福音は、その人が復活されたイエス・キリストにお会いする時に完結するのです。
このイースターの頃、私たちの信仰を確固たるものするために復活してくださったイエス様に感謝して、喜びつつ過ごさせていただきましょう。
アーメン