<讃美歌>讃美歌375番「神の息よ われに満ちて」
<聖書日課>ヨハネ7章25~36節「神様の計画だけが成る」
仮庵の祭りの頃です。イエス様は、ひそかにガリラヤからエルサレムに上られました。
しかし、エルサレムでは大胆に宮で人々に語られました。
ユダヤ人たちはイエス様を殺すことを考えていました(25節)が、誰もイエス様に手をかけたものはいませんでした。
人々を恐れたからです。また、人々の間にも相当の混乱があったようです。
27節に記されているように、人々のイエス様やキリストに関する知識が曖昧です。
そのような中でイエス様は人々に、ご自分と父なる神様の関係をはっきりと話されました。(28,29節)
イエス様が『あなたがたは、その方を知らないのです』と言われ、人々はイエス様を捕えようとします。
祭司長/パリサイ人も役人を遣わしてイエス様を捕えようとしました。
しかし、誰もイエス様を捕えることはできませんでした。
聖書はその理由を『イエスの時が、まだ来ていなかったからである』と書いています。
このことは、その時が来れば、「イエス様の方から捕らえられるために彼らのところへ行かれる」ことを示しています。
そしてその時、人々はイエス様の十字架を通して、父なる神様を教えられることになります。
私たちも、イエス様の十字架を通して、父なる神様のご計画と愛の大きさを教えられました。
私たちも、人々と同じようにイエス様に関する知識が曖昧な時は、イエス様を心に捕らえることはできませんでした。
でも、あわれみ深い神様は、定められた時に聖霊様を通して私たちに働きかけご自身を示してくださったのです。
私たちは、多くの方の救いのために祈っています。
でも神様がその方の心に触れてくださらなければ、その方は信じることができません。
それが何時なのか、私たちは知りません。
だから祈り続けましょう。私たちのまだイエス・キリストを信じていない隣人が、心の飢え渇きを覚え、
神様に心が捕らえられるように祈りましょう。
私たちは、神様のご計画が正しく実行に移されることを知っており、それに期待しましょう。
主は、私たちの期待に”時にかなって”答えてくださいます。
「人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る」(箴言19章21節)。
アーメン
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