
2023年8月9日(水)
<讃美歌>讃美歌333番「山辺に向かいて われ」
<聖書日課>出エジプト16章2~15、31~35節「神を見上げる」
イスラエルの人々は、奴隷の地であったエジプトを脱出して、紅海の水が分かれてできた海の中の道を通ってシナイの荒野に入りました。人々は、神の偉大な力を目の当たりにしたのです。
それは決して忘れてはならないものでした。 しかし、イスラエルの人々は「われわれは何を飲んだらよいのか」(15章24節)と言って不平を言ったのです。
そして、今度はモーセとアロンに向かって、エジプトでの奴隷生活を懐かしみ、不満を言いました。
「エジプトでは、パンを満ち足りるまで食べていた。‥あなたがたは、われわれをこの荒野で飢え死にさせようとしている」と。
その姿は、神を見ることを忘れ、行き当たりばったりの欲を求める罪人の姿です。
またその姿の上に、私たちは自分の姿を見ます。かつて私たちは、罪の奴隷として世の中の風習にどっぷりと浸かって生活していました。でも、神の憐みにより、罪の奴隷の生活から奇跡的に救われ信仰者となりました。
しかし、信仰者となっても「生活は依然として苦しいままだ」、「もっと楽しい生活をしたい」と言って世の生活を懐かしむことはないでしょうか。
人は、神の恵みを忘れた時に、心が貧しくなり不平不満が口をついて出てきます。しかし、神はそのような私たちにも忍耐してくださり、恵みを与えようとしていてくださいます。
神は、イスラエルの人々の不満の声「水がない。肉が食べたい」との声を聞いた時、水を与え、マナを降らせ、ウズラを降らしてくださいました。
イスラエルの人々は、あの大いなる紅海の奇跡を忘れてはいけなかった。いや忘れるどころか、そのことにより、神が私たちを守り導いてくださっていることを、明確に知るべきだった。
私たち八鹿教会の一人ひとりも、自分が救われた恵みを決して忘れてはなりません。
また、今、神は八鹿教会に恵みを与えてくださっていることをハッキリと覚え、心からの感謝を主に現わさなければなりません。「主よ、感謝します」と。
詩篇作者は言います。『私は感謝します。あなたは私に奇しいことをなさって恐ろしいほどです』(詩篇139:14)
主はあなたに、八鹿教会に、更なる恵みを与えようとされています。これからも、私たちは神を見上げ、その恵みを忘れず、謙虚になって主に従いましょう。
アーメン
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