2025年06月18日(水)

<讃美歌>讃美歌164番「わがたまよ 主をほめよ」

<聖書日課>ルカの福音書1章46~55節「神への賛美」

マリアは、御使いガブリエルから”いと高き神の子(キリスト)”を産むことを告げられましたが、その時、不妊の女と呼ばれていたエリサベツが妊娠していることを告げられました。

ガブリエルは「神にとって不可能なことは何もありません」と言ってマリアから離れました。それでマリアは、神の創造のすばらしさを確かめるためにエリサベツのところへ急ぎました。

そこでマリアは、神のご計画の確かさを教えられたのです。エリサベツが、御使いが言ったとおりに妊娠していたからです。

その事によってマリアは、自分に目を留めてくださった神をほめたたえて、<マリアの賛歌>を歌ったのです。 マリアの目は、現実を飛び越えて遠く未来を見ています。

マリアは賛美します。「ご覧ください。今から後、どの時代の人々も私を幸いな者と呼ぶでしょう」。そのことばの通り、世の多くの人々は「マリアは幸いな者」と思っています。

しかし私たちは、大きな心の葛藤を知っています。マリアが不安を乗り越えてきたことを知っています。それは34節のマリアのことば、『どうしてそのようなことが起こるのでしょう。わたしは男の人を知りませんのに。』に表されています。

マリアは御使いから救い主を産むことになると告げられた時、周りの人々からどのように思われるかと不安でした。 しかしマリアの不安は、神のご計画を通して未来の恵みを見たときに、神への賛美と変えられたのです。

私たちもこの世にあってはいろいろな困難の中で生きています。

肉体的な弱さ、病気や老いに直面している人もおられます。経済的な不安を抱えている方もおられるでしょう。また精神的な心の弱さに直面している方もおられるかもしれません。

しかしながらそのような不安は、私に備えられている未来の神の祝福に目を留めたときに、取るに足らないものとなるのです。

それは私たち信仰者に約束されている永遠のいのちが、それほどまでに素晴らしいものだからです。 私たちはその事を、どれほど実感として受け止めているでしょうか?

マリアは、神の約束のすばらしさを実感として受け止めたために、マリアの賛歌と呼ばれる賛美の歌を歌いました。

私たちも、心の底から、「力ある方が、私に大きなことをしてくださった」と言って、神を賛美する歌を歌わせていただきましょう。

その時、私たちにはさらなる神の恵みが与えられることでしょう。これからの皆様方の信仰の歩みが、主によってさらなる恵みが満ちるものとなりますように願っております。  アーメン