2025年07月09日(水)

<讃美歌>讃美歌393番「わが主イエスよ」

<聖書日課>ルカの福音書10章13~16節「神への応答」

ここに出てくるコラジンやベツサイダは、ガリラヤ地方の町です。イエス様はそれらの町で、奇跡を幾つもなされました。

ここでは、それらの奇跡のことを、イエス様は<力あるわざ>と呼んでおられます。それは、人が見て「あっ、これは神のわざだ。イエス様は救い主だ」と分かるためのものでした。

しかし、コラジンやベツサイダの人々は、心の目が鈍感になっており”イエス様が救い主である”ことに気が付きませんでした。

私たちの周りでも、主は様々な<力あるわざ>を、行なわれたのではないでしょうか。ある人の病が奇跡的に癒され、何十年も教会から離れていた人が信仰を回復され、

あの人は救われないだろうと思っていた方が、信仰を告白してイエス様を受け入れられた。私たちも、主の力あるわざを幾つも見ています。

イエス様は私たちに言われます。「あなたがたこそ、粗布をまとい、灰をかぶって座り、悔い改めるべきではないか」と。主に感謝します。

主は私たちに悔い改めの心を起こしてくださり、熱心に主に仕える者と変えてくださいました。ですから、7年前まで7,8人だった礼拝出席者が、今20人を超えるようにまでなりました。

主は、私たちに更に恵みを与えようとされています。教会のお一人お一人が、更に熱心に主に仕えられ、主からのさらなる恵みを受けられますように願っています。

それともう一つ、私たちはこの箇所から教えられます。この時イエス様は、72人の弟子たちを村々へ送り出そうとしておられます。それは「狼の中に子羊を送り出すようなもの」と言われます。

私たちも、イエス様に見向きもしないような人々の中に遣わされています。私たちが、その人たちに福音を語っても、多くの人から無視されるでしょう。

でもイエス様は、「あなたが拒否されたのではない。その者はわたしや神を拒否したのだ」と言ってくださいます。

私たちは救われた者として、「福音を語る責任はありますが、その結果は主が担ってくださいます」。

以前「数えてみよ主の恵み」という聖歌を歌った記憶がありますが、今、私たちは主の恵みの中に生かされています。

これからも主の恵みに行かされる信仰生活を続けさせていただきましょう。

アーメン