2025年07月30日(水)

<讃美歌>讃美歌271番「主は教会の」

<聖書日課>マタイの福音書5章43~48節「神の愛に生かされる」

イエス様は言われます。『あなたがたの天の父が完全であるように、完全でありなさい』。

私たちは父なる神が完全なるお方であることは、何の抵抗もなく納得いたします。神は、無からすべてのものを創造された方であり、神には不可能なことがないからです。

そのことについては、モーセも『主は岩。主のみわざは完全。まことに主の道はみな正しい』(申命記32章4節)と叫び、ヤコブも『父には、移り変わりや、天体の運行によって生じる影のようなものはありません』(ヤコブ1章17節)と書いています。

しかし私たちは、イエス様が私たちに向かって「あなたがたも完全でありなさい」と言われることに違和感を覚えます。私たちは、自分が不完全な者であることをよく知っているからです。

もちろん私たちは、無から有を生じさせることはできません。二匹の魚と五つのパンで5,000人以上の人を満腹にすることもできません。 でもイエス様はこの箇所で、「あなたがたは”愛”において完全でありなさい」と言われます。

神の愛は、すべての者に太陽の光を照り輝かせ、ご自分を信じる者にも信じない者にも分け隔てなく恵みの雨を注いでくださいます。それで私たちは、すべての人を分け隔てなく愛したいと願います。

それがクリスチャンのあるべき姿だと理解しています。しかしながら私たちは、自分の内にそのような”愛”を見出すことはできません。

私たちは、自分を良くしてくれる人をより多く愛し、自分にとってより身近な人により親しく挨拶するからです。

でもイエス様は、そのような私たちに「あなたは完全な愛に生かされなさい」と言われるのです。なぜイエス様は私たちにそのように言われるのでしょうか? ご自分が完全な愛に生きられたからです。

イエス様の完全な愛の象徴。それが十字架の死です。イエス様は不完全な私のために、十字架で死んで血を流してくださいました。

その十字架上のイエス様が私たちに叫んでおられます。「わたしに従いなさい」と。

イエス様に従う。それはイエス様が私の罪からの救い主であり、永遠のいのちの保証であると信じることです。その時イエス様は、ご自分の完全な愛を私たちの愛としてくださるのです。

八鹿教会の皆様方が、これからもイエス・キリストを見上げ、イエス様によって完全な愛に生かされる者へと変えられますように心より願っております。

感謝して、 アーメン