
2024年01月10日(水)
<讃美歌>讃美歌371番「いつくしみ深い」
<聖書日課>ヨハネ1章29~34節「神の子の証」
ヨハネの福音書には、イエス様がバプテスマのヨハネから洗礼を受けられた記事はありません。福音書記者は、ここでは “バプテスマのヨハネの証のことば” に集中しています。
それでマタイやマルコの福音書を参照すると、29節の「その翌日」とは、イエス様がヨハネから洗礼を受けられたその翌日と考えられます。
その日、ヨハネはいつものように、自分のところに集まって来る人々にバプテスマを授けていました。その人々は、依然としてヨハネが旧約聖書に預言されている救い主(メシヤ)だと思っていたことでしょう。
しかしヨハネは、その前日に「自分はキリストではない」(20節)、「私は、イザヤが預言している荒野で叫ぶ声である」(23節)、「私は、後から来られるキリストの履き物のひもを解く値打ちもない」(27節)ことを証したのです。
おそらくヨハネは、その直後にイエス様に洗礼を授け、イエス様の上に「御霊が鳩のように天から下って来る」のを見たのです。
そしてその翌日、またしてもヨハネはイエス様を見て、「見よ、世の罪を取り除く神の子羊」と叫んだのです。 子羊とは、人々が罪の贖いのためにささげるいけにえの子羊を連想させます。
ヨハネは、イエス様について31節で「私自身もこの方を知りませんでした」と言っています。これは、「私は、この方をキリストとしては知らなかった」という意味です。
しかしヨハネは、イエス様に洗礼を授けた時に、御霊がイエス様の上に降るのを見て「イエス様がキリストだ」と教えられたのです。 それでヨハネは、「この方が神の子である」(34節)と証しするのです。
私たちは、どのようにイエス・キリストを証ししているでしょうか。
私たちのこれまでの出来事を振り返りますと、「あっ! ここに神がおられた」、「私は不思議な方法で教会に導かれた」、と思い当たることは幾つもあると思います。
バプテスマのヨハネは、私たちに語っています。「あなたがどのように信仰に導かれたのか、他の人に語ってください」と
八鹿教会は、キリストの証人の集まりです。キリストの愛を全身に受けた者たちです。
その恵みに感謝して、今年も、私たちは遣わされた所で、キリストの証人として主に仕えさせていただきましょう。 それが ”神の子” としての私たちの歩みです。
皆様方の上に、主の導きと祝福が豊かでありますように。
アーメン