
2025年06月04日(水)
<讃美歌>讃美歌344番「み顔をあおぎて」
<聖書日課>ルカの福音書9章18~27節「神の国を見る」
5,000人の給食の奇跡の後、イエス様は一人で祈っておられます。何を祈られたのでしょうか。それは、イエス様の弟子たちへの質問の中に見ることができます。「群衆はわたしのことをだれだと言っていますか」。(18節)
5,000人の給食の奇跡は、大変偉大な奇跡です。イエス様の手の中で、パンと魚が増えたのです。それも、ちょっと増えたのではなく、何十倍、何百倍と増えたのです。まさしくこの奇跡は、イエス様が神の力を持っておられる方、いや神そのものであることを示す奇跡でした。
それでイエス様は、その軌跡を目撃した人々が、ご自分をどのように思っているかが気になって、弟子たちに尋ねられたのです。 しかし弟子たちから聞かれた群衆の声は不十分なのものでした。
「バプテスマのヨハネだ。エリヤだ。昔の預言者のひとりだ」。群衆の中に、「イエス様こそ神のみ子キリストだ」との声はなかったのです。
それでイエス様は、弟子たちに「あなたがたは、わたしを誰だと言うのか」と問われたのです。ペテロが答えます、「神のキリストです」。完璧な答えでした。
それでイエス様は、弟子たちに、ご自分の使命とご自分に従う弟子の祝福について教えられました。
キリストの使命は、多くの苦しみを受け、殺され、三日目によみがえることです。もちろんその苦しみは、すべての人の罪を贖うための苦しみです。
そして、キリストに従う弟子も「自分を捨て、日々自分の十字架を追わなければならない」ことを教えられたのです。
私たちもキリストの弟子です。ですから、弟子として負わなければならない十字架があります。一人ひとり十字架の重さは違いますが、それなりの苦しみを伴います。
しかしイエス様は、「弟子には、受ける苦しみよりもはるかに大きな恵みがある」と言われます。そのはるかに大きな恵みは、「全世界を手に入れるよりも素晴らしいものだ」と言われます。
私たちには、イエス様の弟子が受ける恵みのすばらしさが、まだはっきりと理解できていないのでしょう。 イエス様は、弟子が受ける恵みのすばらしさが分かることを、「神の国を見る」と言われました。
”神の国を見る”を見せられた弟子は、もう何ものをも恐れることなく、イエス様に従う者とされるのです。
この後、弟子たちは「全世界に出て行って」福音を宣べ伝えます。大きな苦しみに遭います。殉教する者も何人もおります。それでも、イエス様は「その苦しみよりも、神の国を見る恵みのほうが大きい」と言われます。
私たちは、神の国を見ているでしょうか。何となくおぼろげに見ている程度なのかもしれません。
パウロは言います。『今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、そのときには顔と顔を合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、そのときは、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります』。(Ⅰコリント13章12節)
パウロは、私たち信仰者が受ける恵みが如何に素晴らしいものかをこのみことばで教えています。これからも、私たちは地上にあっても、はっきりと神の国を見させていただけるようにイエス・キリストを見続けていたいと願っております。
皆様方の上に、主の恵みが豊かでありますように、
感謝して、 アーメン