
<讃美歌>讃美歌371番「いつくしみ深い」
<聖書日課>ルカ22章39~46節「祈りの平安」
クリスチャンは”祈りの民”と言われます。それは、クリスチャンとは、祈りによって神から力を受けるからです。祈りによって、私たちが神様から受ける力の一つに”誘惑に打ち勝つ力”があります。
イエス様は弟子たちに、「誘惑に陥らないように祈っていなさい」と言われました。
弟子たちは、イエス様が十字架の苦しみを目の前にして、祈りによって「そこから逃れたい」との誘惑と戦い、父なる神様からその誘惑に打ち勝つ力を受けられたその時に、眠ってしまったのです。
この時、弟子たちは肉体的に疲れていて眠ってしまったのですが、彼らの魂も眠っていました。
イエス様は、この後すぐに逮捕されて裁判にかけられ、十字架刑が目の前に迫っているその時に、祈ることができなかったからです。
私たち信仰者も、社会の中にあって様々な誘惑に会います。
Ⅰヨハネ2章に、この世の誘惑の代表的なものとして『肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢』が挙げられています。それらの欲は、何とこの世に満ちあふれているでしょうか。そして、誘惑はあなたの魂を神から引き離すように働きます。
私たちクリスチャンも、この世では誘惑に囲まれて生活しているようなものです。私たちは実に簡単に誘惑に負けてしまいます。私たちは、周りの人を見た時に、その人の生活が羨ましくなります。
イエス様は、誘惑に負けないように祈っていなさいと言われます。祈ることは、神を見上げることです。弟子たちは肉体的にも霊的にも、疲れて眠っていましたが、私たちの魂は眠っていないでしょうか。
いつも、イエス様が自分の罪を贖うために十字架で死んでくださった愛に感謝するために、私たちも祈る必要があります。
私たちが祈り続ける時、主はあなたにご自身のご意志を示してくださいます。そして、そこに私たちは「主にある平安」を見い出すのです。
あなたのこれからの信仰生活の内に、祈りによって”主にある平安”が満ち溢れますように願っております。
アーメン
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